河内幻視行

凄惨、内臓引き出し顔の皮剥ぐ…「河内十人斬り」なぜ起きたのか

 ふたりは村田銃をズドンと撃ったうえ、顔役宅になだれこんだ。寝込みを襲われた顔役と、その弟宅の惨状はすさまじかった。地元紙の記事によると、ハラワタを引きずり出され、首を切り落とされた者もいた。

 浮気された、まだ19歳の内縁の妻にいたっては「面の皮を剥(は)ぎ取りたるなど実に言語に絶えぬ所為」と報じられた。殺された者のなかには子供もいた。

 だが犯行時、熊太郎がもっとも恨んでいた顔役の弟は京都に出かけて、留守だった。墓まで造って犯行に及んだにしては、とても計画的とはいえない。「何か外に込み入った事のあるは必定ならん」と報じた記事もあった。

「河内十人斬り」誕生の背景

 建水分神社の坂道をあがると、正面に「摂社 南木神社」があり、左手の石段を登ったところに本殿があった。各殿が連なっており、あまり見たことがない様式だった。熊太郎も犯行まえ、おとずれたはずだ。

 事件を起こしたあと、熊太郎と弥五郎は下赤坂城の戦いで敗れた正成とおなじように、金剛山の山奥深くに逃亡した。

 警察官と消防団によって、なんども山狩りが行われた。村内でも捜索隊を作り、竹槍などを持って探したが、「熊よ熊よと大声で尋ねたれども影さへ見へず」(剣花道人著)。

 6月8日、金剛山中の奥深くで杉の木に足をかけ仰臥(ぎょうが)して死んでいる熊太郎、そのちかくに弥五郎の射殺体が、それぞれ見つかった。熊太郎は自首をすすめる弥五郎を背中から射殺したうえ、みずから胸を撃ち抜いたらしい。

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