釜煎りの刑から約180年経た江戸時代、歌舞伎で天下の大泥棒、石川五右衛門は蘇る。「絶景かな、絶景かな」の台詞(せりふ)で知られる「楼門(さんもん)五三桐」はあまりにも有名だ。そして敵(かたき)として狙うのは、ここでも豊臣秀吉ならぬ真柴久吉。権力者と反権力者。この2人はライバル関係として今も語り継がれている。
死後、蘇る五右衛門
ところは京都・南禅寺の山(三)門の二層目。捕り手に囲まれながらも、ゆったりと煙管をふかし、桜咲く春の景色を楽しむ派手な褞袍(どてら)姿の石川五右衛門があった。ここであの有名な台詞が飛び出す。
「絶景かな、絶景かな。春の宵は値千両とは、小せえ、小せえ」
そこに飛んできた1羽の鷹がくわえた書状から、五右衛門の実父は明国の高官で、養父・武智光秀を滅ぼした真柴久吉に討たれたことを知る。
怒りに震える五右衛門。そこに突然、階下に現れた巡礼姿の久吉は五右衛門の辞世の句を詠み、五右衛門を驚かせる。
五右衛門は久吉めがけて手裏剣を投げるも、手に持つ柄杓(ひしゃく)で受け止めた久吉は「巡礼にご報謝」と言って上の五右衛門を、そして五右衛門は下の久吉をにらみ返し、再会を約束する。