話の肖像画

ブロードウェー・プロデューサー 川名康浩(52)(3)チャンスをつかめる準備していた

98年に独立し、ブロードウェーの舞台に通いつめていたころ、トロントで試演中の「フォッシー」(99年トニー賞作品賞)に出合いました。尊敬する故ボブ・フォッシーのダンスナンバーを集めたミュージカルで、ダンサーから振付師、演出家、映像の世界へと活躍の場を広げた彼のセンスには普遍性がある。その舞台を日本に持っていったのが独立後、最初の仕事です。2001年の東京公演は1カ月全席完売で、自分の目が確かだと確信しました。

〈招聘公演や、ブロードウェー作品の日本上演の契約で信用と人脈を築き、07年、ついにプロデューサーとしてデビューを果たす〉

ブロードウェーでの初プロデュース作は「リーガリー・ブロンド」(映画邦題「キューティ・ブロンド」)です。プロデューサーとしての参加を誘われ、昔からの支援者が投資してくださった。そこからは一からの勉強でしたが、僕は「演劇が好きだ」という思いだけは、誰にも負けない自信があった。やがてブロードウェーの第一線のプロデューサーらが、「ヤスには情熱がある」と認めてくれるようになりました。

〈10年に「カム・フライ・アウェイ」のプロデュースに参加。11年の「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」では初めてトニー賞作品賞にノミネートされる〉

漠然と「プロデューサーになりたい」と思ってもなれない。ただ人間、誰にもチャンスはあって、「その時」につかめる準備を、僕は常にしていたと思います。(聞き手 飯塚友子)

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