話の肖像画

ブロードウェー・プロデューサー 川名康浩(52)(3)チャンスをつかめる準備していた

〈ロサンゼルスに渡ってからニューヨークに移り、大手芸能事務所のニューヨーク支社で働きながら、ニューヨーク大で映画を学ぶ〉

渡米したとき、ロサンゼルス・ドジャースの野茂英雄投手が活躍していました。野茂投手は1995年のオールスター戦の先発投手で、すごく勇気をもらった。日本人も頑張れば、世界の大舞台で活躍できるって。

〈まずはオフ・ブロードウェーの小劇場の作品から、舞台制作にかかわり始める〉

96年、「フェン・ピッグス・フライ(あり得ない)」に出資し、衣装の搬入までやりました。毎日劇場に通い、そこで末期のエイズ患者だった作家兼衣装デザイナーのハワード・クラブツリーが、ひざ立ちの状態でリハーサルを行い、開幕前に亡くなるのを目の当たりにしました。彼が命を削って完成させた作品は、その年の数多くの演劇賞を獲得した。

劇団四季時代も、親しかった同期が20代半ばで白血病で亡くなった。僕は今も、彼らのような志半ばで亡くなった仲間に支えられています。演劇の世界で生きたかった仲間に対し、僕が適当な生き方をしていたら申し訳ない。

〈まず日本への舞台招聘(しょうへい)で、実績を重ねる〉

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