話の肖像画

ブロードウェー・プロデューサー 川名康浩(52)(2)

■俳優だけでは物足りなくて

〈演劇との出合いは幼稚園時代にまでさかのぼる〉

学芸会で「ネズミの嫁入り」の主役ネズミをやって、先生に「川名君、素晴らしい!」ってうんと褒められたんです。それが本当にうれしくて、それから何となく演劇の世界に行きたいと思っていました。そして小学校に上がったころ、祖母に連れられていった木馬座の「ケロヨン」の舞台。着ぐるみの人形劇ですが、僕が最初に見たミュージカルです。暗転になると、「これから何が起こるんだろう?!」って興奮して、照明が入るともうマジック。「♪ケ~ロヨ~ン」って、もう楽しくって、こんな世界があるんだって。

それから普通に大学入って、では演劇の世界にどうやっていくかといったら、男は劇団四季しかなかった。女性なら宝塚もありますが、そのほかに演劇だけで食べている集団はなかったんです。

〈俳優を目指して四季の演劇研究所に入所。ミュージカル「ジーザス・クライスト・スーパースター」などに出演した〉

四季受験のため、参宮橋の稽古(けいこ)場に願書を取りに行ったら、初演(昭和57年)の「エビータ」の稽古をやっていました。マイクなんかないから、みんな大きい声でガンガン歌っていた。「この世界に飛び込むんだ。頑張るぞ!」と身震いしたのを覚えています。その30年後、まさか自分が同じ作品を、ブロードウェーでプロデュースするとは思わなかった。だから「エビータ」が開いたときは感無量でした。偶然、というものはないんですね。

〈プロデューサーになったのも、四季で過ごした5年間が影響している〉

俳優として5年間、お世話になりましたが、浅利(慶太)先生が直接指導してくださった。俳優だけでなく、演劇人としてプロフェッショナルとして、プライドをたたき込まれました。稽古は厳しかったけれど、浅利先生は2人きりになると優しかった。今も感謝しています。

僕は当時、自分でも俳優として才能があるとは思わなかった。自分を客観的に見られたし、セットや衣装、照明…全部に興味があって、作品全体を見渡すプロデュースという仕事にすごく興味を持っちゃったんです。才能もなかったくせに、俳優だけでは物足りなくなって、プロデューサーという目標を持ち続けていました。

四季を辞めて5年ほど、フリーでテレビや商業演劇の舞台にも出ましたが、映画をやっていなかったので、勉強したかった。どうせなら本場で勉強しようと思い立ったんです。

〈当時は英語も不自由だったが、ロサンゼルス行きの片道の航空券を手に渡米する〉

コネもなく身一つで勝負するしかない。俳優として成功してないから、失うものもない。そこは強かったと思う。(聞き手 飯塚友子)

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