本郷和人の日本史ナナメ読み

(39)「得したのは誰か?」で史料を読む

北条義時の動向が、いかにも怪しい。畠山重忠に謀反の意思などありません、と時政を諫(いさ)める。でも時政が強硬なので、やむを得ない、という体で重忠を討つ。次には重忠討伐で生じた御家人の不満をすべて時政に押しつけ、世代交代を実現する。返す刀で、平賀も葬る。義時一人が、いわば「丸もうけ」なのです。

義時が政権を奪取してほどなく。重忠の子が僧になり、生き延びていた事実が判明しました。重忠を討った後も、その無実を説いてやまなかった義時です。かねてからの友情を思うと涙が止まらない、なんて言っていた義時です。そんな彼ですから、重忠の遺児を大切にするはず。お寺を造り、重忠らの菩提(ぼだい)を弔わせるのかな。それとも還俗させて遺産を相続させ、畠山家を再興するのかな。ところが、ところが。義時は彼を捕らえて、処刑してしまいました。なあんだ、やっぱり義時も、ぐるだったんじゃないか。

この連載の初めの方でふれましたが、このころ、父親の権限は絶大でした。遺産の配分においては「父親の意思がすべて」であり、幕府権力ですら介入できなかった。武士は父親の許しを得てはじめて、家の当主であることを周囲から認められました。下克上が一般的になった戦国時代においてすら、兄弟の争いは頻発しますが、親殺しはめったにない。父である道三を討った美濃の斎藤義龍などは、親殺しの汚名を避けるためでしょう、斎藤の姓を棄てて、母方の一色(丹後の守護家)を名乗ったほどです。

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