引退してからの掛布氏の気持ちは一度も変っていない。以前連載していた『虎の見聞録』で阪神の宿敵・巨人系マスコミの評論家になったのも将来、阪神の監督になったとき、いいコーチを集めるための人脈作りだった-と書いた。
引退して数年がたった。阪神から声が掛からないのを心配し「本当に久万オーナーの間はオファーが来ないかもしれない。求められるチームでユニホームを着た方がいいんじゃないか?」と薦めたときも、掛布氏は笑って首を横に振った。その後も何度も薦めたがついには「もうそのことは言うなよ」とくぎをさされた。
それから十数年、星野仙一氏が阪神の監督に就任し、18年ぶりにリーグ優勝を果たした2003年のある日、私は球団首脳に呼ばれ、こんな質問を受けた。
「掛布さんはなぜ、よそのチームのユニホームを着ないんですか?」
あぜんとした。まさか、阪神の首脳からこんな質問を受けるとは…。
「そんなことも知らないんですか!」。思わず声がうわずった。
「掛布氏はまず一番に阪神に恩返しするんだ-と、他を断り、ずっと阪神から声がかかるのを待っているんですよ」
「そうだったんですか。でも今の状況では、現場から十数年も離れた人をいきなり監督に-というのはウチでは難しい。どこかの球団でコーチでも経験していただければ、お誘いしやすくなる。掛布さんに薦めてくれませんか」
悲しかった。なんというすれ違いだろう。阪神とはもう縁がないのかもしれない…と泣きたくなったのを覚えている。