【世界史の遺風】(59)ギボン 『衰亡史』に学んだ大英帝国(東大名誉教授 本村凌二)(2/3ページ) - 産経ニュース

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世界史の遺風

(59)ギボン 『衰亡史』に学んだ大英帝国(東大名誉教授 本村凌二)

 植民地側の実力行使に怒る対アメリカ強硬論者もいれば、植民地側の主張を支持し代弁する論客もいた。ギボンはこう語る。

 「内気が自尊心のために一層強くなり、文章の成功がかえって声を試してみる勇気を奪った。とはいえ自由な審議会の討論には列席して、雄弁な理路整然たる攻防戦に聞き入り、当代一流の人々の性格・意見・熱情などをすぐに傍らから見ることができた。…(中略)…しかもこの重大な討論の主題は、大英帝国とアメリカとの連合か分離かであった。私が議員として列(つらな)った8度の議会は、歴史家のまず学ぶべきもっとも枢要な美徳、すなわち謙譲を教える学校であった」(『自伝』)

 ここから、興味深いことがわかる。おそらくギボンは議会で一度も発言しなかった。だが、錚々(そうそう)たる論客たちの人となり、息づかいまでも肌で感じていた。その経験は政治上の分別心を鍛えたにちがいない。

 北米大陸、カリブ海域、さらにはインドやアフリカにもイギリスの覇権は拡大していた。その領土は広く、人種も社会も多種多様であった。その異様さのために、イギリスの支配層にはなにかしら心穏やかな気分になれなかった。そのうえ、アメリカ喪失が絵空事ではなくなり、不安感は高まる。

 そもそも、「ローマ衰亡のことを書物に著そう」という考えがギボンの念頭に浮かんだのはローマ滞在中の出来事だった。1764年10月15日、彼はカピトリーノ丘の遺跡に座って瞑想(めいそう)していた。