【世界史の遺風】(59)ギボン 『衰亡史』に学んだ大英帝国(東大名誉教授 本村凌二)(1/3ページ) - 産経ニュース

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世界史の遺風

(59)ギボン 『衰亡史』に学んだ大英帝国(東大名誉教授 本村凌二)

 今週末の日本ダービーは今年で80回目をむかえる。だが本場イギリスのダービーは1780年の創設だから、234回目というとてつもない数字になる。

 そのころ、のちに「18世紀イギリス歴史叙述の最高傑作」と謳(うた)われる『ローマ帝国衰亡史』が執筆されていた。その第1巻が出たのが1776年、アメリカ独立宣言の年である。数日にして売り切れ、第2刷もすぐに完売だった。5年後に第2巻、第3巻が出版され、これも続々と売れた。最終の第6巻が出たのが、1788年、フランス革命の前年であった。

 歴史家エドワード・ギボンが生きた18世紀後半、イギリスは農業国から工業国に脱皮しつつあった。さぞかし興隆期につきものの活気あふれる時代だったろうと想像されがちである。そのような時期に、なぜ『ローマ帝国衰亡史』が書かれ、多くの読者を得たのだろうか。疑問といえば疑問でもある。

 1773年12月、南アジア産の茶を陸揚げすることに反対した米ボストン市民は夜間に船に乗りこみ、茶箱を海に投棄してしまう。これをきっかけに、イギリスと植民地アメリカとの関係は悪化する。もともと本国の負債を課税で補おうとしていたから、植民地側はかたくなだった。とうとう武力衝突がおこり、戦況は次第にイギリス本国に不利に傾いていった。植民地側への義勇兵の参加もあり、1781年、本国は決定的な敗北を喫する。

 ボストン茶会事件の翌年、ギボンは国会議員に選ばれている。それから敗戦にいたる数年間、ギボンはまさしく国家の舵(かじ)取りの現場をその目で見る所にいた。