河内幻視行

錦織神社 3人の尼の過酷な運命 

 近鉄長野線の踏切をわたり、田畑のなかの一本道をまっすぐ歩いていったところに錦織神社があった。「にしきおり」と読むが、「にしごり」「にしこおり」などとも呼ばれている。テニスの錦織圭は「にしこり」である。

 小さな森につつまれた本殿をまのあたりにしたとき、思わず、ホーッとため息がでた。

 こぶりな鳥居の向こう側に、いっぷう変わった入り母屋造りの本殿があり、正面の千鳥破風の千木(ちぎ)と、屋根の鰹(かつお)木がツンという感じで天を突きさしている。その手前にも破風があった。

 彩色もハデである。檜皮葺(ひわだぶき)の濃褐色の屋根の下の軒や柱は、朱や金色に塗られている。柱にもなにやら極彩色の文様が描かれている。

 説明板によると、室町年間の正平18(1363)年に創建された。戦前は国宝、戦後は重要文化財に指定された。

 べつに「格落ち」になったわけではない。政府の財政難から当時、国宝がより厳選化されたためである。国宝のままでもいいような気がした。

 本殿は、のちに日光東照宮のモデルになったというのもうなずける。もう数十年もたつが、日光を訪れたとき、そのド派手さにげんなりした記憶がある。

 派手さにも、調和が求められる。この神社も頭デッカチという感じがしないでもないが、周囲の森とマッチし、かろうじてリンとした美しさをたもっているように見える。

 もちろん創建以前も、古代からの神域であり、社殿も建っていたはずである。現在はスサノオが祭神だが、そのころはなにを祭っていたのであろうか。

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