河内幻視行

甲田 「天誅組」あえなく賊軍に

 万策がつき、22日には、龍神村の紀州藩屯所に自首した。河内勢は8人になっていた。このとき、

 「皇国の ためにつくす まごころは 神や知るらむ 知る人ぞ知る」

 という歌を残したとされる。京の六角獄舎に送られ、翌元治元年の禁門の変のさい、処刑された。英太郎は15歳未満だったため、刑をのがれ、河内へ戻された。

 --南河内一帯には大楠公の伝承や言い伝えが、いまも多くのこっている。善之祐も郷土の誇りとして、あがめていたはずである。

 だが天誅組には、大楠公のような巧妙な戦を展開できる首領はいなかった。

(福嶋敏雄)

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