古ぼけた一葉の写真が載っていた。手前はよく耕された畑がひろがり、左手に竹の柵で囲まれた一画があった。なかには、小さな祠(ほこら)でも建っているいるような感じである。
その向こうには石川が流れているが、写真では見えない。はるかかなたには、金剛山がうすい稜線(りょうせん)を描いていた。「水郡(にごり)邸裏より遥かに秀麗金剛山を望む」というキャプションにつづき、
「この地附近に、勤皇の士の多数輩出せしこそ、環境の感化、あづかつて力ありしことを想察すべし」
という説明文が書かれていた。昭和12年1月、大阪府社会教育課「郷土先賢顕彰会」が発刊した『天忠組河内勢』に掲載されている。
水郡邸は富田林寺内町に隣接した「甲田」という、点在する田畑に、農家や民家、商店が建ちならぶ一画にある。これが、なかなか分からなかった。通りすがりのオバちゃんに聞くと、「トンコウの前を通って、右手のあたりやよ」という返事だった。
「トンコウ」が分からない。しばらく行くと、富田林高校があり、この高校が地元では「トンコウ」と呼ばれているのに、ようやく気づいた。
べつのオバちゃんにさらに道をたずね、ようやく古びた住宅や新興の住宅が細い路地に点在する一画に、長い板塀と土塀が続く古い水郡邸に行きあたった。塀越しに見ると、木々が鬱蒼(うっそう)としげっていた。公開はされていない。