河内幻視行

「寿町」 織田文学 充実の富田林時代

 近鉄富田林西口駅をおりると、狭い道路沿いに片側だけの歩道がつづいていた。歩道いっぱいに、中学生たちがぞろぞろ歩きながら、やってきた。

 まもなく左手に、富田林市立第一中学校の学舎があった。道路をはさんだ北側の住宅街が「寿町2丁目」だった。中学校の反対側のあたりだと聞いてきたが、道を入ったところには、大きな駐車場があるだけだった。

 昭和20年12月末、このあたりにあった民家に長身の男が、小さな骨箱を持って、ころがりこんできた。織田作之助である。民家は被災した姉夫婦の家だった。

 骨箱には、京都の三高生時代に知り合い、前年の8月、ガンのために死んだ妻、一枝の遺骨が入っていた。おそらく織田作がその短い生涯で、唯一、愛した女性であった。

 織田作の富田林時代は、翌21年11月まで続くが、この間、宝塚の女性と結婚したり、京都で放浪生活を送ったりしたから、延べにしたら6、7カ月間ほどである。

 短い間だったが、文学的にはもっと充実した時期であった。いまも文庫本で読める『六白金星』や『世相』を書き、21年8月からは、この家にこもって読売新聞に『土曜夫人』の連載をはじめた。挿絵は小磯良平であった。

 まだ田野が多くのこっていた界隈を散歩したこともあったはずである。長髪のうえ、身長5尺8寸というから、約177センチと、当時としては長身、痩躯(そうく)の大男だから、住民たちも「ナニモノなんや」と喫驚(きっきょう)したはずである。