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【伝説のサーファーの10年 東日本大震災】波に乗り、海へ歓声取り戻す 福島・南相馬、鈴木康二さん

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震災と原発事故後、真っ先にサーフィンを再開した鈴木康二さん=福島県南相馬市の北泉海岸
震災と原発事故後、真っ先にサーフィンを再開した鈴木康二さん=福島県南相馬市の北泉海岸
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 東の空がオレンジ色に染まり、穏やかな朝を迎えた。福島県南相馬市の北泉海岸。地元では“伝説のサーファー”と呼ばれる。ドライスーツにヘッドキャップ。冬のフル装備で波に乗る。10年前の夏、東日本大震災の津波と東京電力福島第1原発事故後、近づく人がほとんどいない海で、真っ先にサーフィンを再開した。以来、年間200日以上は海に入る。

■人がいない中で…再び

 「週2回以上やらないと大きな波が来ても乗れなくなるからね。年間360日は朝、海岸で波をチェックしている」

 生まれ育った南相馬市でサーフショップ「サンマリン」を営む。震災前、自宅兼店舗は人気のサーフスポット「右田(みぎた)浜」の近くにあった。

 20歳でサーフィンを始め28歳で全日本サーフィン選手権大会の福島県代表に。15年ほど前から、サーフィンを通じ町おこしを推進する活動にも関わった。

 「古株で地域でも活動して名前が知られたから、レジェンドなのかな…」

 しかし、震災と原発事故で生活は一変した。自宅兼店舗は津波で流失し、一帯の犠牲者は54人に上った。同居する家族は無事だったが、震災の翌月に母、カヅ子さん(当時77歳)を亡くした。「南相馬で入院していたが、原発事故で会津の病院に転院してすぐだった。死に目には会えなかった」。カヅ子さんは震災関連死に認定された。

 東京、神奈川…。避難先を転々として、南相馬の仮設住宅に入居したのは地震から3カ月後の6月。

 「自然と足が海に向いた。海を見ていると落ち着いた」

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 行方不明者の捜索が続く海。入れる雰囲気ではなかった。もちろん波乗りも。

 そんな中、7月に伝統行事「相馬野馬追(そうまのまおい)」の開催が決まり、落ち込みがちだった雰囲気に変化の兆しが見えた。そして、気づいた。

 「誰かが(サーフィンに)反対しているわけではない」

 放射性物質の影響も調べた。海や砂浜、魚類などの調査データを集めた。線量計も身につけた。「生活圏は問題ない」。自分なりの結論だった。

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