PR

ニュース 社会

児童虐待~連鎖の軛 第4部(1)目黒5歳児死亡 見逃された母のDV被害

東京・目黒の児童虐待事件の被害者、船戸結愛ちゃんが4歳のころの写真。公園で弁当を食べている=平成28年8月(提供写真)
東京・目黒の児童虐待事件の被害者、船戸結愛ちゃんが4歳のころの写真。公園で弁当を食べている=平成28年8月(提供写真)
その他の写真を見る(3/4枚)

 しかし、綻(ほころ)びは生じていた。長男が生まれ、優里受刑者が育児にかかりきりになり、雄大受刑者が結愛ちゃんの面倒を見る機会が増えた。その頃から、長時間の説教や優里受刑者へのDVが始まった。「モデル体形にする」と厳しい食事制限が課され、結愛ちゃんには「しつけ」と称した暴行が繰り返された。当初は暴力をやめるよう懇願した優里受刑者だったが、じわじわと「雄大が作った価値観」(大谷弁護士)に支配されていく。

 優里受刑者が結愛ちゃんを抱っこするだけで、雄大受刑者からとがめられ、恐怖で抱きしめられなくなった。優里受刑者は「(雄大受刑者が)ご機嫌でいれば結愛は安全」と考えるようになった。相手の顔色を常にうかがい、自ら結愛ちゃんの説教に加わることも。その後も虐待は続き、結愛ちゃんは亡くなった。全身170カ所に傷があり、体重はわずか12・2キロだった。

「自分が悪い」

 なぜ、防げなかったのか。DVと虐待が絡み合った環境に、第三者が介入する機会は何度もあった。

 香川県の児童相談所(児相)は28年12月と翌年3月に、結愛ちゃんの傷やあざを見つけ一時保護した。最初の一時保護の際、結愛ちゃんは「ママもたたかれている」と伝え、優里受刑者も「一緒に行きたい」と申し出たが、警察や児相は「あざや傷がなければDVでない」と説明した。

 東京拘置所で優里受刑者に面会を重ねてきたNPO法人「女性ネットSaya-Saya」の松本和子代表理事(72)は「何を聞いても『自分が全て悪い』という自責感情に覆われ、典型的な洗脳状態だった」と振り返る。優里受刑者は当初、DVを受けていた自覚すらなかったという。

 その後も介入の機会は逃された。香川県から東京都に転居した後の30年2月、品川児相が家庭訪問したが、優里受刑者は結愛ちゃんに会わせずに担当者を追い返した。雄大受刑者が逮捕されて恨まれるのが怖かったためだ。東京で頼れる大人は雄大受刑者以外いなかった優里受刑者。松本氏は「心理的DVは第三者から発見されにくいとはいえ、結果的に誰も彼女に寄り添えず、児相や警察、医療機関による二次加害が起きてしまった」と指摘する。

理想の母親像に縛られ

 孤立したのはDVだけが要因ではなかった。

 結愛ちゃんの一時保護が解除された29年、優里受刑者は香川県内の医療機関を受診し、結愛ちゃんを抱っこできなくなったことなど育児不安を伝えていた。抱っこすると雄大受刑者の機嫌が悪くなることを恐れての無意識での行動だった。大谷弁護士らによると、優里受刑者に対し、医師は「ハグできない冷たい母親」と捉え、児童相談所も面会で「子供を暴力から守れるのはお母さんだけ」と、一方的ともいえる指導で終わった。

続きを読む

関連トピックス

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ