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危機管理とは自助 阪神大震災から学んだ 鹿間孝一

 これはいつかあったこと。/これはいつかあること。/だからよく記憶すること。/だから繰り返し記憶すること。/このさき わたしたちが生きのびるために。

 神戸の詩人、安水稔和さんは詩集「生きているということ」(編集工房ノア)で1995年1月17日に起きた阪神大震災を「五十年目の戦争」と表現した。

 災禍は姿を変えて、いつ、どのように襲ってくるかわからない。だが、人間とは忘れっぽい生き物であるらしい。「天災は忘れた頃にやって来る」で知られる寺田寅彦はこう書く。

 「悪い年回りはむしろいつか回って来るのが自然の鉄則であると覚悟を定めて、良い年回りの間に充分の用意をしておかなければならないということは、実に明白すぎるほど明白なことであるが、またこれほど万人がきれいに忘れがちなこともまれである」(「天災と国防」から)

 阪神大震災から16年後の東日本大震災と東京電力福島原発の事故は「未曽有」で「想定外」とされたが、新型コロナウイルスも不意を突かれた。にしても危機管理の重要性を繰り返し学んだはずだから、備えがあってしかるべきだった。

 危機管理の要諦は、偶然や不慮が重なる最悪の事態を想定することである。そして最悪を招かないために、事態の推移に応じて打つ手を考えなければならない。たとえ発端は想定外でも、対応を誤った時点から「人災」になる。

 とりわけトップの役割と責任は重大だ。警察庁出身で危機管理に詳しい後藤啓二弁護士は、悪い情報が迅速にトップまで上がってくる体制を整備し、隠蔽しない、損失は覚悟する、自分が全責任を負う-という心構えが必要とする。

 菅義偉首相は感染リスクと経済への影響のはざまで揺れたのだろうか。対応が後手に回って第3波の感染拡大を招き、再度の緊急事態宣言も知事の要請を受けてだった。

 歴代最長の安倍晋三内閣の官房長官を務め、危機に強いと定評があっただけに残念である。ただし、責任の追及は先でいい。今は野党もマスコミも一丸となって、コロナ禍の終息へ全力を傾注すべきだ。

 付言しておきたいことがある。新型コロナウイルスの感染を防ぐには、国や自治体が「何をしてくれるか」ではなく、私たちが「何をすべきか」が肝要である。危機管理はつまるところ「自助」なのだ。これも阪神大震災で学んだ。

 しかま・こういち 昭和26年生まれ。社会部遊軍記者が長く、社会部長、編集長、日本工業新聞社専務などを歴任。特別記者兼論説委員として8年7カ月にわたって夕刊1面コラム「湊町365」(産経ニュースは「浪速風」で掲載)を執筆した。

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