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【復興日本】東日本大震災10年 第1部 再生(2)被災後の「創造」 阪神の教訓

阪神大震災後、再開発された六甲道南公園で話す倉橋正己さん(左)と斉木久美子さん =神戸市灘区(彦野公太朗撮影)
阪神大震災後、再開発された六甲道南公園で話す倉橋正己さん(左)と斉木久美子さん =神戸市灘区(彦野公太朗撮影)
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 「創造的復興」。被災した街を以前の姿に戻す「復旧」だけではなく、将来の発展を見据えた「復興」が必要との考え方だ。平成7年1月の阪神大震災で、当時の兵庫県知事、貝原俊民氏が掲げた。23年の東日本大震災の被災地でも取り入れられ、今では災害大国・日本の未来を考える上で重要なキーワードとなっている。

 高層マンションや店舗が並ぶ神戸市灘区のJR六甲道(ろっこうみち)駅南地区。大きな揺れで住宅ががれきの山と化した26年前。再開発を経て、今では嘘のように活気づく。

 「26年前には想像もできんかったね」

 今ではすっかり地区の顔となった六甲道南公園に、明るい声が響く。震災後の市再開発事務所長、倉橋正己さん(71)と、被災前から住み続ける斉木久美子さん(91)だ。

 震災後、市職員と住民という異なる立場から、街の復興に向けた議論を戦わせた2人。今では笑って話せる仲だが、当初は再開発の内容をめぐって対立した。

 市側は震災2カ月後の7年3月17日に突然、JR六甲道駅南地区の再開発の都市計画を決定したと発表した。地元に相談もなく、住民は新聞や市の広報で知った。防災拠点の大きな公園を新設し、複数の高層マンションが取り囲む-。そんな市側の計画を斉木さんらは受け入れなかった。

 震災前、この付近は住宅が密集し、地域のつながりは強かった。高層マンションに代わると、そんな絆が消えてしまうという心配からだった。だが、倉橋さんら市側も「住民に一刻も早く希望を持ってほしい」と、引かなかった。

 歩み寄りのきっかけは、駅南地区を4つに分けてつくられた「まちづくり協議会」だった。

 約2年かけて住民と市が意見をすり合わせた。最終的に斉木さんらは公園新設を受け入れ、9年2月に都市計画は変更。市の当初案よりも公園や建物は小さくなり、防災力と地域のつながりを両立した六甲道南公園は、新たな街の象徴となった。倉橋さんは「ハード面の創造的復興はできた」と評価する。

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