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【縁 災害が結んだ、私たち】(6)未来の姿、重ねる出会い 宮城・閖上の丹野祐子さんと日航機墜落事故、連絡会の美谷島邦子さん

御巣鷹山での慰霊登山に参加し、シャボン玉を吹く丹野祐子=平成28年8月12日(NPO法人 地球のステージ提供)
御巣鷹山での慰霊登山に参加し、シャボン玉を吹く丹野祐子=平成28年8月12日(NPO法人 地球のステージ提供)
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 流れる汗をぬぐい、濃緑を進む。海沿いの街で暮らしてきたから、夏には慣れっこ。だけど、この深い森には慣れることがない。ふと、感じた。

 「山は生きている」

 東日本大震災で津波に襲われ、700人以上が犠牲になった宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区。中学生だった長男の公太=当時(13)=を亡くした丹野祐子(52)は昨年8月12日、御巣鷹山(群馬県)に登った。目指したのは「御巣鷹の尾根」(群馬県上野村)。520人の犠牲者を出した昭和60年の日航ジャンボ機墜落事故から35回目の夏だった。

 1時間ほどの山行で、たどり着いた尾根に「昇魂之碑」がたつ。手を合わせ、シャボン玉を吹いた。

 声をかけられた。

 「来てくれたんだね。私もまた、閖上に行くね」

 事故で次男の健=当時(9)=を亡くした美谷島邦子(73)だった。

 丹野は震災で犠牲になった旧閖上中学校の生徒の遺族とともに遺族会をつくり、会の代表も務める。名取市にある震災伝承施設「閖上の記憶」では語り部として活動する。

 平成26年のこと。閖上を案内したボランティアの男性から、1冊の本が送られてきた。

 「御巣鷹山と生きる-日航機墜落事故遺族の25年」

 美谷島の本だった。一気に読んだ。遺体安置所に通ったこと、事故の現場に通い続けていること、息子を思いながらこいのぼりを立てたこと…。

 「私が震災後に経験したことがそっくりそのまま。知らないうちに、30年も前に同じ経験をした人の背中を追いかけていた。ずっと、自分の前を歩いている人がいる」

 27年8月、丹野は初めて御巣鷹山を登った。目の前に広がる森。「無駄なものが何もない」と思った。それが、どこかうらやましくもあった。脳裏に浮かんだのは閖上の光景だった。

 震災から4年ほどだった当時の閖上。うち捨てられる廃棄物が目立っていた。

 「中学校の跡地に建てた慰霊碑の前に、洗濯機が置かれていたこともあった。ゴミ捨て場のようにされて、悲しかった」

 御巣鷹の尾根。それは「自分の足で行ける天国のようなところ」に思えた。健の墓標に、こいのぼりをそっと置き「閖上中学校遺族会 丹野祐子」と書いた。

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