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【想う】「ありのままに伝える」 東日本大震災・原子力災害伝承館のアテンダント、泉田淳さん(61)

「事実を間違いなく、ありのままに伝えることが大事」と話す泉田淳さん=福島県双葉町
「事実を間違いなく、ありのままに伝えることが大事」と話す泉田淳さん=福島県双葉町

 福島県双葉町で先月20日にオープンした「東日本大震災・原子力災害伝承館」。震災と東京電力福島第1原発事故の記憶と教訓を伝える同施設で、来館者に展示などについて解説するアテンダントを務める。今年3月、38年間の教師生活にピリオドを打ち、新たな一歩を踏み出した。

 「来館者への説明だけでなく、教員経験を踏まえて、語り部を務める人たちに話し方のコツをアドバイスしたりもします。事実を間違いなく、ありのままに伝えることが大事だと考えています」

 震災発生時は南相馬市立大甕(おおみか)小学校の教頭だった。職員室にいたときに激しい揺れに見舞われた。震災の揺れは長時間に及び、気象庁の記録では福島県いわき市小名浜で、震度6弱の揺れが約190秒続いたとされている。

 「永遠に揺れ続けるのではと思うほど長く、重い耐火金庫も動きました。柱につかまりながら『机の下に入りなさい』と校内放送を流しました。学校は国道6号脇の高台にあり、津波被害は免れました。しかし、学区に海沿いの地域があり、児童5人が亡くなりました」

 当時、双葉町の自宅は海に近い両竹(もろたけ)地区にあった。同居する義理の両親の安否が気になったが、電話はつながらない。忙しい中、役場に電話で問い合わせると「両竹地区は壊滅です」との答えが返ってきた。

 「『壊滅』じゃなく、せめて『壊滅的』と言ってほしかったなどと思いました。でも、たどり着いた家は津波で全壊。一帯はすべて破壊されていて役場の説明は適切でした。が、あまりにも強烈。言葉の使い方の難しさを痛感しました。家族全員の無事が分かる前ですから…」

 地震と津波、その後の原発事故で、避難生活を余儀なくされ、住む場所も転々とした。福島県南相馬市、郡山市、会津若松市、埼玉県加須市、福島県いわき市…。震災後に経験した引っ越し回数は7回にも及ぶ。

 「放射能から逃げ回る悲惨さ、悔しさ、辛さを味わいました。もちろん、人の温かさも感じました。双葉町民の多くが避難した埼玉・加須の騎西小学校では地元と双葉の子供を一緒にしてクラスで編成し、運動会では全員が騎西小と双葉町の2校の校歌を鼓笛演奏しました」

 伝承館の仕事を打診された際、引き受けていいのか悩んだこともあった。しかし、自分にしかできないこともあると考え、引き受けることにした。

 「犠牲者の冥福を祈り続ける中で、自分の経験を通して命を守る大切さを伝えられれば…。自分は決して立派ではありません。でも、原発災害を知らない人に大変さを知ってほしい。逆に経験者は当時を思い出すかもしれない。そんなときは『ひどかったよね』と寄り添いたい。できる限り的確な言葉で、ありのままを伝えたい。そして、来館者に自分なりの考えを導いてもらいたいと思います」(芹沢伸生、写真も)

 いずみた・じゅん 昭和34年6月生まれ。大学卒業後の昭和57年から小学校教諭に。福島県の浜通り地域で教鞭(きょうべん)を取り続け、教頭や校長などを歴任。今年3月に定年退職後、現在の仕事に就いた。浪江町では単身赴任の生活を送っている。

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