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【想う 10年目の被災地】9月 震災遺構が伝える教訓

東日本大震災の伝承を通して「自分の命は自分で守る」ということを根付かせたいと語る渡辺修次さん=宮城県山元町
東日本大震災の伝承を通して「自分の命は自分で守る」ということを根付かせたいと語る渡辺修次さん=宮城県山元町

□宮城・山元町の渡辺修次さん(69)

 東日本大震災の脅威を伝える震災遺構として、今月26日に一般公開を控える宮城県山元町の中浜小学校。震災当時は90人以上の児童らが屋上に避難し、命を取りとめたことで知られる。その震災遺構でボランティア団体「やまもと語りべの会」の会長として、震災の記憶を伝えている。

 「(震災は)辛い記憶ですが、次の世代の人が1人でも助かるよう教訓を伝えることが仕事だと思っています」

 震災発生時は同校から内陸側に約8キロの場所にある同町立山下中学校で校長を務めていた。津波の到来を免れた同校では各教室が避難所に。震災当日には津波にのまれながらも助かった町民が、次々と避難してきた。当時、津波が襲ってくることは予想外だったという。

 「卒業式を終えて教員の会議をしている最中に揺れに襲われました。生徒は全員下校していました。揺れがおさまった後はカーラジオで情報を集めていました。『山元には津波は来ない』と思っていました。知識がないというのは、恐ろしいことです」

 自宅は津波で全壊の被害を受けた。同校では生徒4人が犠牲になった。中学校では震災発生から日を追うごとに町民が避難。避難所の運営に奔走した。

 「重要なのは地域のコミュニティーの維持です。知っている顔があれば、心の壁も下がるからです。避難所では避難者がそれぞれ役割を担っていました。例えば、お年寄りはおにぎりを握ったり、中学生はトイレの水を流しにいったり。それぞれの仕事をこなしている間は辛い出来事を少しでも忘れられるというのもあります。みんなで協力して、自立に向けて考え、動くことが大切です」

 避難所では当時、インフルエンザなどの感染症にかかる人もいた。新型コロナウイルスの感染拡大が続く現在、教訓として伝えたいこともある。

 「当時は感染拡大を防ごうと空いている教室を感染者専用の部屋としました。コロナ禍では避難者がテントを持参していつでも『自主隔離』ができるようにしておくなど、自分たちでできることはするべきです」

 震災の翌年に定年退職した後に「やまもと語りべの会」を設立。「正しく災害を恐れる輪を作る」という思いを胸に9年半、活動してきた。震災は来年で発生から10年の節目を迎えるが、公開する中浜小学校でも伝えたいことは変わらない。

 「災害を正しく恐れて逃げることができるようになる必要はあります。自分の命は自分で守る。平凡なことのようですが、それができるようになれば、幸せなことです」

 【プロフィル】渡辺修次

 わたなべ・しゅうじ昭和26年11月生まれ。宮城県山元町出身。東京都内の大学を卒業後、教員として神奈川県相模原市の中学校に赴任。52年から宮城県内の学校に赴任した。震災では山元町内の自宅が津波で全壊し、宮城県名取市内の仮設住宅に入居。その後、同県亘理町内に自宅を再建した。

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