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【聖火は照らす 東日本大震災9年】(3)踏まれても再び…被災者のシンボル「復興芝生」

昨年10月、青々とした「復興芝生」が東京五輪のサッカー会場の1つとなる宮城スタジアムに敷き詰められた=宮城県利府町
昨年10月、青々とした「復興芝生」が東京五輪のサッカー会場の1つとなる宮城スタジアムに敷き詰められた=宮城県利府町
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 東京五輪の男女サッカー計10試合が行われる「宮城スタジアム」(宮城県利府町)。ピッチ一面には、「復興芝生」と銘打たれた青々とした天然芝が敷き詰められている。

 「五輪を契機に、もう一度被災地に目を向けてほしい」。復興芝生を生み出した大坪征一さん(79)はそう語る。

 スタジアムから南へ40キロ余り。平成23年3月の東日本大震災で甚大な被害を受けた同県山元町が大坪さんの故郷だ。太平洋に面したこの地で、復興芝生は産声を上げた。

6人で生産会社

 目を覆わんばかりの惨状が広がっていた。

 震災翌日、大坪さんは仙台市の自宅から山元町へ駆けつけた。海から約700メートルの実家は津波に流され、跡形もなくなっていた。

 「絶句して、言葉も涙も出なかった」

 最大震度6強の揺れに見舞われた山元町は最大約12メートルの津波に襲われ、面積の約37%が浸水。被害は犠牲者637人(震災関連死含む)、全壊家屋2217棟に及んだ。特産品のイチゴ栽培のハウスやブドウの畑など農地が広がる土地は濁った波にのみこまれた。旧友たちは立ち上がる気力を失い、農家をやめて仮設住宅に引きこもる人もいた。

 「故郷の活気を取り戻したい」。野球場などのグラウンド補修の工事会社を経営していた大坪さんは、荒れ果てた土地を有効活用する方法として、仕事でなじみ深い芝生に着目した。

 「津波で砂をかぶった土地でも、芝生の栽培なら塩害による影響は少ない。太陽光をさえぎるものがない上、井戸もあり、水に困らない」。被災地には「地の利」があると考え、震災の爪痕が色濃く残る24年春、実家の庭があった一角に試しに芝生の種をまいた。2週間ほどで芽を出し、「いける」と確信した。

 25年、地元農家や会社経営者ら有志6人と共同で生産会社「東日本復興芝生生産事業」を設立し、大坪さんが社長に就任。新たな町の特産品化に向けて復興芝生と名付け、被災農家らから借りた農地で栽培を本格化させた。

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