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【聖火は照らす 東日本大震災9年】(2)「希望」咲く五輪のビクトリーブーケ 花言葉で届ける福島の思い

2020年東京五輪・パラリンピックで、メダリストに副賞として贈られる花束「ビクトリーブーケ」=昨年11月12日、東京都
2020年東京五輪・パラリンピックで、メダリストに副賞として贈られる花束「ビクトリーブーケ」=昨年11月12日、東京都
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 福島県の山間部にあるハウスで、緑色の小さな芽が吹いていた。いずれ白やピンクなど多彩な花を咲かせるトルコギキョウ。「すがすがしい美しさ」「優美」などの花言葉を持つ。

 「県営あづま球場」(福島市)で野球・ソフトボール競技が行われる東京五輪。メダリストに贈られる「ビクトリーブーケ」は、東日本大震災の被災地で生産された花々を中心に作られる。福島県からは薄緑色のトルコギキョウが使われる予定だ。

 「福島の努力が認められた」。同県川俣町山木屋地区の栽培農家、菅野洋一さん(68)は、相好を崩した。

失われた活気

 需要の高さに注目し、トルコギキョウの栽培を始めたのは約30年前。車で約7時間かけて長野県まで通い、栽培方法を学んだ。化学肥料を使わない有機栽培を取り入れ、他の栽培地域と出荷時期もずらすなど、工夫を重ねて徐々に販路を拡大した。

 周辺の花卉(かき)農家7軒とともに「あぶくまカットフラワーグループ」を結成。平成22年度にはグループで年間約10万本を出荷するまでに育ったが、23年に発生した東京電力福島第1原発事故で、山木屋地区には避難指示が出された。

 「必ず戻って再開する」。菅野さんは仲間と連絡を取り合い続けた。震災翌年の24年秋に栽培許可が下りると、25年1月から種まきを開始。26年に出荷し、震災前と変わらない価格での販売にこぎ着けた。

 ただ、地区の人口は現在、震災前の4割ほどだ。花卉農家の数も激減し、かつての活気は失われた。

安全訴え続け

 震災は被災地の農業に大打撃を与えた。特に原発事故に見舞われた福島県では、作付け制限に加えて国内外からの出荷制限、風評被害による買い控えなどに苦しめられた。

 「お客さんはゼロになった」。南相馬市鹿島区でコメ農家を営む豊田寿博(としひろ)さん(37)は当時の苦悩を振り返る。「震災前に買ってくれていた方に手紙を出したり、東京まで営業に出向いたりして、やっと半分くらいまで戻ってきた」

 有機無農薬のコメづくりに取り組み、震災前は東京を中心に1俵が4万円近くで売れる人気農家だった。しかし、原発事故で状況は一変した。南相馬市は一部に避難指示が出されたが、鹿島区は原発30キロ圏外で対象外に。風評被害は深刻だったにもかかわらず助成金の対象から外れ、自力での再生を強いられた。

 福島県は原発事故後、全ての県産米の放射性物質を調べる「全量全袋検査」を実施。年間約35万トンのコメを1袋ずつ調べる「世界初の取り組み」(担当者)で、年間約60億円かかる経費は国と東電が負担。27年産以降のコメで、国の放射性物質の基準値(1キロ当たり100ベクレル)を超えたものはない。

 生産者も県産米の安全性やおいしさを訴え続けた。豊田さんは「震災直後に比べれば風評被害は和らいだ。『福島のコメだから食べない』という話はあまり聞かなくなった」と語る。

生産者を戻す

 震災前年の22年に約10万人だった福島県内の農家就業人口は、30年には約5万8千人まで減少した。高齢化にも拍車がかかり、7割以上が65歳以上。農業の担い手不足は深刻だ。

 「山木屋を花の一大生産地にする」。トルコギキョウを栽培する菅野さんはそんな夢を抱いてきたが、若者が戻らない状況にもどかしさを感じている。だからこそ、トルコギキョウがビクトリーブーケに使われる五輪への期待は大きい。

 「安全なものを作っているという自信がある。世界のアスリートに渡す花を福島で栽培することは必ず、みんなの弾みになる」

 トルコギキョウが持つもう一つの花言葉は「希望」。震災を乗り越え、精魂込めて作り上げた花こそ、福島が未来へつなぐ希望となる。(大渡美咲)

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