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【主張】阪神大震災25年 決して忘れてはならない

 ■不断の見直しと点検が必要だ

 平成7年1月17日の阪神大震災から25年、四半世紀となった。

 大震災を経験していない世代も増えた。社会を揺るがせたどんな出来事も、いずれは歴史の一ページにならざるを得ない。

 しかしそれは決して、忘れてよいということではない。6434人の犠牲者、震災が遠因となって亡くなったすべての方に、改めて心から哀悼の意をささげたい。

 ◆防災減災に教訓生かせ

 都市型の大規模災害だった阪神大震災は多くの教訓を残した。古い建物に被害が集中し、通電火災や圧死が目立った。震災は、耐震基準をさらに強化する契機となった。政府の初動は遅れ、危機管理のあり方も見直された。

 被災者生活再建支援法ができ、個人の住宅の大規模な被害も公的に支援できるようになった。大きな代償を払って得た社会の財産である。その後も23年の東日本大震災などを経て、防災、減災のための見直しが続いている。片時も気を抜いてはいけない。

 南海トラフ地震や首都直下地震が現実味を帯びる中、今後も現在の街づくりや組織、制度に不備な点はないか、なお不断の点検と見直しが欠かせない。多発する気象災害に対しても同じである。災害に強い社会にすることは犠牲者に対する責務だろう。

 将来への備えだけではない。阪神大震災が歴史に沈もうとする今、重要なのは、体験の風化といかに戦うかである。

 亡くなる理由のまったくない私たちの隣人だった。その死が忘れられていいはずがない。

 40人以上が犠牲になった神戸大学では、メディア研の学生らが、亡くなった先輩の遺族の了解を得て、取材し発信している。涙を交えて語る遺族もいる。震災を知らない世代があの出来事を理解しようとしている。体験を継承する試みはさまざまになされている。

 一方、兵庫県内の災害復興公営住宅で昨年、75人が孤独死した。全員が被災者かはわからない。だが寒々とした現実である。

 大震災を知る世代は、語れるなら、思い出して語り伝えたい。知らない世代は耳を傾けたい。書物や映像によってもいい。語り伝え聞き学ぶことで、遠ざかる体験にも近づくことができる。

 過去に対してだけではない。遠い場所であった出来事に対してもそうである。豪雨で、津波で苦しんでいた人はどうしているだろうか。そう思うことから小さくても何かが始まるだろう。遠い過去や場所にある苦しみを感じようとする姿勢を、忘れてはなるまい。

 「苦しみを癒(いや)すことよりも、それを理解することよりも前に、苦しみがそこにある、ということに、われわれは気づかなくてはならない」

 阪神大震災下、神戸大学医学部助手として被災者の精神的なケアに当たった精神科医、故・安克昌(あん・かつまさ)氏が残した言葉である(「臨床の語り」)。日本の「心のケア」のパイオニアとして活動した。

 ◆心の傷に優しい社会へ

 安医師は阪神大震災の発生直後から、災害が人の心に与える傷について世間の注意を喚起した。避難所を訪問し被災者の話に耳を傾けた。ケアを押し付けるのではなく、さりげなく回復に寄り添おうとした。

 心のケアを精神医学や心理学の技術的な問題に押し込めてしまいがちな社会の風潮には、批判的だった。

 なぜ私は生き残ったのか。そんな被災者の苦しい自問に触れ、安医師は先の文章で書いた。「この問いには声がない。それは発する場をもたない。それは隣人としてその人の傍(かたわら)に佇(たたず)んだとき、はじめて感じられるものなのだ」

 安医師は大震災から5年後、がんのため39歳で亡くなった。3人目の子供が生まれた2日後だった。病が末期で見つかると入院をなるべく避け、死の直前まで家族との時間を大切にした。どこまでも人を思いやろうとした。

 それが安医師の思い描く、心が傷ついた人に優しい社会だったのだろう。人を思いやることはだれにでもできる。遠い過去、遠い場所の悲しみに近づき、ともに悲しむことも、だれにでもできる。

 それがあればこそ、教訓をより生かし、よりよい街や組織や制度も築いていけよう。災害に強いばかりではない。

 人に優しい社会とは何かを考えていきたい。

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