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【瓦礫の教えはいま 震災25年】(1)救えた命救うため 災害医療を一変させた「阪神」

阪神大震災の教訓から生まれた組織や概念
阪神大震災の教訓から生まれた組織や概念
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 平成7(1995)年1月17日早朝、神戸市消防局生田消防署の救助隊長だった岡田幸宏・西消防署消防司令長(55)は、瓦礫(がれき)の街となった三宮で葛藤していた。

 目の前には家屋の下敷きになった高齢女性。そばで泣き崩れる男性に「母が埋まっている。早く出して」と懇願された。「出さなければ」。女性はすでに死亡しているようだったが、救助のプロとしての使命感にかられた。だが、限られた機材を使い仲間と手を尽くしても、女性の上にのった太い梁(はり)は一向に動かない。

 3時間以上費やしただろうか。周りには瓦礫の下で助けを求める大勢の生存者がいる。「他の人を救出させてほしい」。女性に毛布をかぶせた。救助隊員として初めて任務を完遂せずに現場を離れた瞬間だった。

 しかし、転戦先で救出した人の多くは、すでに冷たくなっていた。「さっきまで声が聞こえたのに」。悲しみに暮れる家族の声に胸が締め付けられた。

 「一人より多くの人を助けたい。二度とあの悔しさを味わいたくはない」。時間の重みを知った今なら、迷わず多くの生存者を選ぶと、岡田さんは言い切る。

緊急援助隊創設

 6434人の人命が失われた阪神大震災では、平時のレベルの医療が提供されていれば、約500人が救命できた可能性があったと指摘されている。膨大な救助・救命の需要と、限られた資源との間に生じた大きなアンバランス。そこから生まれた苦悩や無念が教訓として残された。

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