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中村医師「男だったらやらんといかん」 アフガン救った昆虫少年

建設コンサルタント会社「テクノ」が実施した、アフガニスタンの技術者への研修に参加した中村哲さん(左端)=2017年11月、福岡県朝倉市(同社提供)
建設コンサルタント会社「テクノ」が実施した、アフガニスタンの技術者への研修に参加した中村哲さん(左端)=2017年11月、福岡県朝倉市(同社提供)

 「最初はチョウチョがみたくて行ったんだよ」

 アフガニスタンで4日朝、武装した男らに銃撃され死亡した非政府組織(NGO)「ペシャワール会」の中村哲医師(73)は常々、周囲にこう語っていた。

■現地の苦境に触れ「不条理感じた」

 子供の頃から野山を駆けめぐってはチョウチョやバッタなどを収集する「昆虫少年」だった。そんな縁から、アフガニスタンに向かう登山チームの担当医として声がかかり、現地に向かった。

 山登りを楽しめる-。そんな思いは道中、アフガニスタン人の苦境に触れ、吹き飛んだ。病気で苦しむ農民に、重要な薬は渡せなかった。

 「その場しのぎにしかならないちょっとした薬を渡すしかなかった。世の中の不条理を感じた」。

 中村さんは当時をこう述懐していた。

 「男だったらやらんといかんだろう。義理と人情みたいな人だ」

 ペシャワール会の理事、福元満治さん(71)は中村さんの人柄をこう語る。

■大干魃で患者消え…医師から技師へ

 登山隊への参加からしばらくして、中村さんは再びアフガニスタンに渡った。蔓延(まんえん)していたハンセン病の治療にあたるためだった。患者の多くは貧しい農民だった。

 山岳部に数多くの診療所を作ったが、2000年ごろ、大干魃をきっかけに患者の姿が消えた。離農を余儀なくされ、難民になっていた。

 こんな状況で、中村さんは医師から技師へと変わっていった。

 まずは1600本の井戸を掘り、飲料水を確保した。しかし、農業用水には足りない。次に、灌漑(かんがい)事業にも乗り出した。

 財源に乏しく、技術水準も決して高くはない現地で、近代的工法を採用しても画餅に終わる。江戸時代の治水技術などを研究し、図面を引いた。

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