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刺されながらも不屈、暴力団排除運動に寄与 三井義広弁護士の軌跡

メチャメチャに割られたすし店「浜寿し」内のガラスケース=昭和63年1月、静岡県浜松市海老塚
メチャメチャに割られたすし店「浜寿し」内のガラスケース=昭和63年1月、静岡県浜松市海老塚
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 7日に67歳で死去した弁護士の三井義広氏は、暴力団追放運動の先頭に立ち、精力を注いだ人だった。暴力団員に襲撃され命の危機にさらされながらも屈せず、闘い抜いた姿勢は、運動に携わる全国の住民や関係者に勇気を与え、現在の暴力団排除運動の広がりに大きく寄与した。(大竹直樹)

■「気付いたら血が」

 「後ろから人がぶつかってきて、気付いたら血が出ていた。刺された実感はなかった。後から恐怖がわいてきた」。三井氏は生前、襲撃事件を思い出してはこう語っていたという。

 昭和62年6月20日午後2時すぎ、浜松市の喫茶店にいた三井氏は、近づいてきた若い男に突然、刃物で背中を刺された。傷は肺にまで達していた。1週間後、殺人未遂容疑で逮捕されたのは、暴力団山口組系一力一家(いちりきいっか)の組員だった。

 三井氏は当時、地元の若手弁護士として、一力一家の組事務所立ち退きを求める住民運動をまとめる中心的な存在だった。「三井君が刺され、運動が挫折しかけた。あのとき彼が『やめる』と言ったら運動は崩壊していた」。こう断言するのは弁護団の副団長を務めた村橋泰志弁護士(79)=名古屋市。当時30代の若手弁護士だった三井氏は一命を取り留めると「暴力団の存在を許さない」と、運動に復帰した。

■人格権侵害を訴え

 浜松市中心部の海老塚(えびつか)地区に黒塗りの異様なビルが完成したのは60年8月。一力一家の組事務所だった。住民は翌年からテントを張って監視活動を開始した。

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