PR

ニュース 社会

訴訟対象を限定、上級審なく「一発勝負」の行政裁判所

 明治から昭和初期にかけての訴訟記録と判決の原本14件分が最高裁に保管されていたことが判明した行政裁判所は、プロイセンなどの制度を参考に、明治23年に創設された。民事・刑事事件を扱う司法裁判所では大審院(だいしんいん)を頂点とする三審制がとられたのに対し、行政裁判所は上級審のない「一発勝負」で、訴訟を起こすことのできる範囲も限定されていた。

 日本の近代的な裁判制度が始まったのは、明治憲法下のことだ。三権分立のもと、司法裁判所は地裁・区裁、控訴院、大審院が置かれた。ただ、司法権の範囲は民事・刑事事件の裁判権に限られ、行政事件は政府が管轄する行政裁判所が扱った。

 特別裁判所としてはほかに、皇族同士の民事事件を扱う皇室裁判所や軍法会議があった。行政裁判所は東京の1カ所のみで、上訴の仕組みはなかった。戦後は、日本国憲法が特別裁判所の設置を禁止。全ての司法権は最高裁と下級裁判所に属すると規定され、行政事件も扱うこととなった。

 行政裁判所では、訴えを起こすことができる対象を「租税滞納処分に関する事件」「営業免許の拒否または取り消しに関する事件」などに限定。個別の法律で訴訟提起が認められている例もあったが、訴えを起こせる範囲は狭かった。

 また、裁判官にあたる「評定官(ひょうじょうかん)」は司法裁判官だけでなく、内務省や大蔵省の官僚からも数多く選ばれた。

 福島大の垣見隆禎(かきみ・たかよし)教授(行政法)は「行政裁判所は行政内部の監督機関という性格から『身内に甘い』という欠陥を抱えがちな一方、評定官は通常の裁判官よりも行政実務に精通している分、密度の濃い審査を可能にしていた面もあったとみられる」としている。

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ