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「桟橋で見送る父、忘れず」ハンセン病元患者家族

船から望む国立療養所「大島青松園」の桟橋=高松市
船から望む国立療養所「大島青松園」の桟橋=高松市
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 医学的根拠のないまま患者の隔離政策が続けられていたハンセン病をめぐり、患者だけでなく家族も深刻な差別や偏見を受けたとして元患者の家族が国に謝罪と損害賠償を求めた訴訟の判決が6月、熊本地裁で予定されている。原告の1人で四国在住の70代の男性は、父親が瀬戸内海に浮かぶ大島(高松市)の国立療養所「大島青松園」に入っていた。船で面会に行った帰り際、いつも桟橋で見送ってくれた父親。「船が見えなくなるまで桟橋に立っていた。胸が締め付けられた」。父親が亡くなり10年以上たつが、いまもまぶたに姿が浮かぶ。

「父親は死んだ」とウソ

 全国に13ある療養所の中で唯一、船に乗らなければ行けない大島青松園。所在地の大島には、高松港から船でおよそ30分。桟橋のそばには砂浜があり、松林が広がる。島のほとんどが療養所となっているこの島にはかつて、ハンセン病と診断された患者が収容された。ピーク時には700人を超える入所者がいたが、現在は53人。平均年齢は84歳を超える。

 島内には納骨堂があり、亡くなった後も古里に帰ることがかなわなかった入所者が眠っている。

 男性が小学6年の時、ハンセン病と診断された父親は大島青松園に入所した。家の中も外も消毒され、一緒に遊んでいた友達に仲間はずれにされるようになった。「冷たい態度やいじめに、とてもつらい思いをした」と男性。

 中学生の頃に転居して環境が変わると「父親は死んだ」と存在をひた隠しにした。だが、就職試験の面接では正直に病名を打ち明けた。それを聞いた面接官たちは小声で話し始めた。結果は、予想通り不採用だった。「父親の病気のせいで差別され、『なぜこんな目に遭わなければいけないのか』と恨んだ」。

訴訟の原告として体験語る

 結婚し、子供をもうけて初めて、家族と引き離された父親の心情を想像できるようになった。面会からの帰り際、船が見えなくなるまで桟橋で見送っていた父親。「子供の成長を見守ることもできず、つらかっただろう」と涙があふれた。

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