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関東大震災の被害伝える鵠沼の石碑 5歳の師正王犠牲に 父は後の首相

 〈救援に全力を注ぐ〉という大見出しの紙面では〈皇室の御不幸〉という見出しで、〈鵠沼の吉村別荘に御滞在中の東久邇宮稔彦王(目下仏国に御留学中)第二王子師正王(御年七つ)は薨去(こうきょ)遊ばされ母宮聰子(としこ)内親王は御無事〉との原稿が載っている。

 震災では鵠沼など相模湾岸一帯は猛烈な揺れに襲われ、多くの家屋が倒壊したとされる。師正王は震災当時、明治-昭和前期の実業家・政治家として知られた吉村鉄之助の鵠沼の別荘に滞在中だった。

 石碑は、その吉村が建設したものだ。

 同月9日の同紙には〈御遺骸 駆逐艦で着京御本邸へ〉などとする見出しで、〈東久邇宮第二王子師正王殿下の御遺骸は八日午後三時駆逐艦夕凪(ゆうなぎ)にて芝浦に御到着の後(中略)御本邸に入らせられた〉とする原稿が掲載されている。記事は、まだ幼かった皇族の悲劇の事実を後世に伝えている。

■数え年で7歳

 最初の記事で師正王が〈御年七つ〉とあるのは、数え年。師正王については「大正7年11月3日生まれ」とする記述と「大正6年11月3日」とする記述がインターネット上などで散見されるが、6年生まれが正しい。

 昭和天皇の生涯について宮内庁が編纂(へんさん)した唯一の公式記録集「昭和天皇実録」の6年12月22日の記述にも、以下のようにある。〈師正王、賢所初参拝につき、稔彦王・同妃聰子内親王及び師正王へ万那(まな)料を御贈進になる〉。6年12月には、すでに生まれていたというわけだ。

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