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「不安でも、一歩踏み出す」宮城県名取市閖上地区の松崎江里子さん(31)

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閖上地区に立つ松崎江里子さん=11日午後、宮城県名取市(松本健吾撮影)
閖上地区に立つ松崎江里子さん=11日午後、宮城県名取市(松本健吾撮影)

 「8年経っても、何年経っても、変わらない。ふらっと出かけて、帰ってきたときのように、また帰ってくる気がして、今でも仏壇に手を合わせられない」

 宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区。この地区だけで、700人を超える命が奪われた。松崎江里子さん(31)も父、秀則さん=当時(54)=を亡くした。

 8年前、仙台市内で大きな揺れに見舞われた。かろうじて乗ったバスを降り、徒歩でひとり、自宅を目指した。「閖上に行っても、何もない」。誰かにそう声をかけられたことを覚えている。面識のない人の家で、その夜を過ごした。

 2、3日後、祖母と母、弟とは会えた。秀則さんは家族を避難させて屋根瓦を片付けているところを津波にのまれたのだろう。そう近所の人に聞いた。遺体は約1カ月後に見つかった。

 それ以来、閖上は「一人では怖くて行けない場所になった」という。

 震災から4年ほど。山形県のイラストレーターを案内した。ふと、自宅のそばにあったマンホールの話をした。道路から20センチほど出っ張っていて、幼い子供には小さなステージになった。踊ったり、歌ったり。中学生になると、友達と座り、時を忘れて語らった。

 そんな思い出が絵本になった。マンホールで歌う少女、そんな姿を優しく見守る父が一番のファン-。

 「津波の映像は子供に見せられない。絵本でなら、震災を伝えられる」。震災と向き合えるひとつのきっかけになった。「閖上で津波から逃げたわけではない。津波のことは知っているようで知らない」。それでも、少しずつ、当時を話せるようになった。

 11日、地区で行われた追悼のつどい。午後2時46分、朝から降り続いた雨が弱まり、晴れ間がのぞいた。松崎さんは風船を飛ばした。「不安はいっぱいだけど、頑張る」。そんなメッセージを父に届けた。語り部として参加した初めての追悼式。「一歩を踏み出せた」と感じられた。

 8年たち、閖上の風景は変わった。「自分の知っている閖上とは違う閖上になってきている」。店ができ、道路ができ、人が戻り始めた。それが「復興」と呼ばれる。

 「もちろん、うれしいし、応援しているけど、違った意味で閖上を奪われてしまったような気もする」

 秀則さんと暮らした実家の跡地。そこには今年4月、公民館が完成する。

(塔野岡剛)

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