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【主張】東日本大震災8年 被災地の思い次代に繋げ 新たな発想でまちの復興を

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 8年がたった。東日本大震災の死者は1万5897人、行方不明者は2533人に上る。一人一人の暮らしがあり、家族や友人がいた。それが突然引き裂かれた。

 時を経ても「3・11」は鎮魂の日であることに変わりはない。改めて犠牲者の冥福を祈るとともに震災の記憶と、困難を乗り越えた復興の取り組みを次代に伝えていく責任を共有したい。

 ≪鉄路に映る人々の願い≫

 復旧、復興はなお途上だ。岩手県沿岸を走る第三セクター・三陸鉄道(三鉄)の新生「リアス線」が、震災から8年を経て今月23日に繋(つな)がるのは、復興の道程(みちのり)の長さを象徴する。

 津波で不通だったJR山田線釜石-宮古間が三鉄に移管され、大船渡市の盛(さかり)駅から久慈市の久慈駅まで163キロが全通する。鉄路の再開は生活の足だけでなく、復興への勇気と希望を与える。

 東日本大震災では津波で駅舎が流されるなど寸断された。だが復旧をあきらめなかった。5日後から順次再開した三鉄の関係者の努力は、次代を担う子供たちのため岩手県が進める復興教育の教材にも取り上げられている。

 三陸を訪れた今月初め、北リアス線を運転していた宇都宮聖花さん(24)は宮古出身で、津波で友人を亡くした。首都圏の鉄道会社に入社し駅員を務めていたが震災5年を機に、運転士を募集していた三鉄に採用された。幼い頃から三鉄に親しみ、ふるさとを思う人材が今後を支えていく。

 もちろん「リアス線」を取り巻く環境は楽ではない。車窓から震災直後の凄惨(せいさん)な様子はうかがいしれないが、沿線で高い防潮堤や土地をかさ上げする工事が続いている。工事が終わっても人々のにぎわいが戻らない「空白」が広がる。他の被災地にも共通する。

 被災地の復興は転機にある。政府が総仕上げと位置づける「復興・創生期間」は残り2年と少なくなってきた。福島などを含め全体の避難者は当初の47万人から大幅に減ったものの、なお5万2千人に上る。仮設住宅で暮らす多くの人がいる。

 息長い支援が必要だ。そのためにも行政のみならず、一人一人が被災地をけっして忘れない、との強い思いを新たにしたい。ボランティア、観光を含め、さまざまな機会を捉え、被災地に足を運びその体験を知ることは復興の後押しになるはずだ。

 新生「リアス線」の駅の一つ「鵜住居(うのすまい)」(岩手県釜石市)は、今秋開催されるラグビーワールドカップ(W杯)の会場となる新スタジアムの最寄り駅だ。スタジアムは津波で大きな被害が出た小中学校の跡地につくられた。

 市立釜石中学の川崎一弘校長は震災の前から市教委で防災教育にかかわった。津波から児童生徒が避難し「釜石の奇跡」といわれたが、奇跡でなく「日頃からの備えが重要」だと指摘する。「命の尊さを十分知っていればマニュアルに左右されず自然と必要な行動に繋がる」とも話す。

 ≪参加促す「芽」広げたい≫

 震災後、力を入れている一つが避難所の開設訓練だ。震災時、日頃から地域との交流が盛んな学校ほど教員らと役割分担し円滑な運営ができた。「学校が地域に何ができるか」双方向の発想は、防災教育だけでなく今後のまちづくりにも生かされるはずだと言う。

 人口減が止まらず、にぎわいが戻らない被災地の課題は、被災地以外の日本の将来を映す。

 地域の再興へ、若い医師の取り組みを紹介したい。震災を機に宮城県登米(とめ)市で地域医療にあたる田上(たのうえ)佑輔さん(38)だ。特徴的なのは東京など都市部と、登米市のそれぞれ在宅診療専門の拠点を設け医師が毎週、ローテーションで勤務する。同僚と立ち上げたが、参加しやすい仕組みで、いまでは仙台などの若手医師も加わり、約30人が参加している。

 東京大学付属病院に勤務していたとき震災が起き、宮城県南三陸町の避難所のボランティアを経て県に相談し、医師不足など深刻な登米市を紹介された。同市は震度6強に見舞われた地だ。

 田上医師は「震災でふるさとを離れても、戻りたい、貢献したいと思っている人は多い。まちづくりに、起業的発想で参加しやすい仕掛けなどが必要ではないか」と話す。震災を機に、絆を生かした復興の芽も息吹(いぶ)いていることを知っておきたい。

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