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【震災遺構のいま】救った命と救えなかった命 宮城県南三陸町・高野会館、石巻市・大川小学校

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17メートルもの津波が襲った高野会館。3階と4階の間に到達点を示す案内板が掲げられ、訪れた人々に脅威を伝えている=宮城県南三陸町(塔野岡剛撮影)
17メートルもの津波が襲った高野会館。3階と4階の間に到達点を示す案内板が掲げられ、訪れた人々に脅威を伝えている=宮城県南三陸町(塔野岡剛撮影)

 ■宮城県南三陸町・高野会館

 かさ上げ工事が進む宮城県南三陸町の沿岸地域に白い建物がぽつんと残る。震災前、結婚式場だった「高野会館」だ。《2011・3・11 東日本大震災 津波浸水深ここまで》。高さ17メートル。白い外壁の3階と4階の間にある青い表示板が目に飛び込んでくる。

 高野会館では、8年前の当時、老人会の催しが開かれていた。津波の直撃を受けたが、従業員が屋上に誘導し327人全員が無事だった。

 会館を運営する南三陸ホテル観洋は、震災翌年から従業員が語り部となり、バスで会館などをめぐる活動を続けている。これまでに参加したのは延べ35万人に達するという。

 民間の震災遺構は費用や安全面から保存が難しく残るものは少ない。会館も市からの援助が受けられなかったが、観洋は自助努力で保存を続ける。「多くの人が助かったからこその教訓があるはずだ」。女将(おかみ)の阿部憲子さんは力を込める。

 遺構の保存は賛否を二分する。だが、壊すと元には戻せず、後悔を生むケースもある。観洋と交流を持つ阪神大震災(平成7年)の遺構保存活動を続けている三原泰治さんは、それを身を持って体験してきた。

 阪神大震災で残る遺構は、神戸市長田区にあった焼け残ったコンクリートの壁「神戸の壁」など、わずかしかない。「神戸は元のビル街に戻り、被災跡がなくなり、学ぶことも伝えることもできない」。だから、三原さんは観洋の取り組みを支援する。

 女将の覚悟も決まっている。「被災した建物にはメッセージがある。守り抜いていく」

 ■石巻市・大川小学校

 死者・行方不明が84人に上った宮城県石巻市の大川小。児童らは地震発生から津波到達まで50分の間、校庭にとどまり続け、約200メートル先にある北上川から遡上(そじょう)してきた津波にのまれた。

 《なぜ校庭にとどまったのか》《なぜ裏山へ逃げなかったのか》《なぜ川に向かって逃げたのか》。震災当時と変わらぬ姿で残る校舎は多くの疑問を投げかけてくる。

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