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過激派、武装闘争の分岐点 安田講堂事件50年

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 赤軍派はその後、国外に活路を求めて海外に革命拠点をつくる「国際根拠地建設構想」も唱え、45年3月には日航機よど号を乗っ取りメンバーが北朝鮮へ出国、46年2月には重信(しげのぶ)房子幹部がレバノンに出国した。

 一方、赤軍派国内残党の一部は連合赤軍を結成。長野・軽井沢で引き起こした「あさま山荘事件」の捜査過程で発覚したメンバー殺害事件で大量の離脱者を生む結果となった。ただ「赤軍」系の非公然化や軍事化は、連続企業爆破事件(49~50年)を起こした東アジア反日武装戦線などのテロ組織の出現に大きく影響した。

 警察の取り締まりなどで国内の赤軍派が追い詰められる中、重信幹部は国際テロ組織「日本赤軍」を創設。日本赤軍は「ハーグ事件」でオランダ・ハーグの仏大使館を武装占拠するなど世界に衝撃を与えた。

 ところが、ソ連崩壊で“革命宗主国”が消失。冷戦の終結で、過激派を保護してきた国々が政策を転換し、日本赤軍のメンバーも世界各地で次々と拘束される。日本では平成12年、潜伏中の大阪府高槻市内で重信幹部を逮捕。重信幹部は13年4月、支援者集会に声明を寄せ「日本社会の中に根付いた歴史を担えなかった」と日本赤軍の解散を宣言した。

 安田講堂事件に象徴される学園闘争は、最終的に多くの死傷者を生じた過激派のテロの温床となった。それを利用して社会に混乱をもたらした過激派は、沖縄の米軍基地反対闘争などの大衆運動にも介入する形で、いまも活動している。

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