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【被害者・遺族は問う】(2) 光市母子殺害事件、本村洋さん(42) 犯罪被害者等基本法成立は「2人が生きた証し」

本村洋さんは「道を外さなかったのは、仕事という現実、帰る場所があったから」と振り返る=5月20日(長戸雅子撮影)
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 5月11日は娘の誕生日でした。生きていたらもう成人式だったのだと思いました。

 《光市母子殺害事件の遺族、本村洋さん(42)は「全国犯罪被害者の会(あすの会)」の最も若い発起人だった。当時23歳。まだ学生のような青年が、被害者の権利を捨て置いていた日本の司法を大きく変える1人となった》

 法律のことは何も分からなかったので、社会の皆さんに犯罪被害者の現状を知ってもらうのが私の役割だと思いました。

 取材に来た記者の人にも「遺族が傍聴席に座れないのにどうしてメディアの人がいくつも席を取れるの?」「少年事件だけれど、裁判は公開で行われている。なぜ実名を報じないの? 加害者の権利ばかり守るの」などと疑問をぶつけていました。純粋な疑問をぶつけたのは意味があったと思います。法廷で遺族の席が用意されるようになりましたし、当初は禁止された遺影も持ち込めるようになった。発言をし続けてよかったと思います。

 《事件後1年間は毎日自殺を考えたという。家族を守ってやれなかったという深い自責の念に加え、自分が3人目の“犠牲者”となることで犯行時少年(18歳)だった加害者に無期懲役でなく死刑判決が下されるかもしれない、と考えたからだ》

 道を外さなかったのは会社が次々に責任や提出期限のある仕事を与えてくれたからです。裁判や記者会見は私にとってはやはり非現実の世界。仕事という現実、帰る場所があったことが大きかった。仕事もせず裁判一辺倒だったらダメになっていたかもしれません。

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