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【東日本大震災7年】福島の山間部から山梨・富士川へ 生きる意味、彫刻で表現…若林克友さん

木の節をモチーフに「生きる力」を表現した作品「残生」を手に、工房に立つ若林克友さん=5日、山梨県富士川町(松田宗弘撮影)
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 福島県の山間部、天栄村の廃校で、家具工房を営んでいた若林克友さん(38)は、東日本大震災の翌年、平成24年4月に3人の幼子を連れ、夫婦で札幌に転居し、福島の工房と行き来しながら、家具づくりのほか彫刻も始めた。26年末には、祖父の生家に近い山梨県富士川町小室に移住。県内外に活躍の場を広げている。山梨で家族との安住を得た若林さんは、「生きる意味を彫刻に込めている」と話す。(松田宗弘)

 若林さんは14年、日大工学部建築学科(福島県郡山市)を卒業。2年後に天栄村に家具製作の「めばえ工舎」を設立した。それから約7年。震災の当日、妻の美緒さん(37)は臨月で、次男を連れて検診を受けていた。長男は幼稚園におり、全員無事だった。その20日後、女の子が生まれた。

 東京電力福島第1原発事故で、現場から70キロ近く離れた天栄村でも、放射線量が上昇した。美緒さんは「子供への影響が心配で遠くへ行きたかった」と北海道への転居を振り返る。

 ただ、「めばえ工舎」には常駐スタッフがおり、若林さんは札幌と福島を往復するようになった。「家族と一緒にいたい。札幌は冬の除雪が大変だし、家賃も高い。2度目の転居はやむを得ない選択でした」。

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