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【14歳の手記「北鮮流浪」】「これは俺の墓穴ではない」 引き揚げ者が見た“地獄” 終戦直後の朝鮮半島で何があった?(上) 

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【14歳の手記「北鮮流浪」】
「これは俺の墓穴ではない」 引き揚げ者が見た“地獄” 終戦直後の朝鮮半島で何があった?(上) 

 69年前の8月、日本の敗戦とともに朝鮮半島は北緯38度線で南北に分けられ、その北側には多くの日本人が取り残された。ソ連軍の進駐の中、38度線を突破し、帰国を果たした人々がいる一方で、望郷の思いかなわず、約2万4000人もの日本人が彼の地で命を失った。この手記は、当時14歳の少年が北朝鮮で経験したことを記録したものである。

最北からの難民行

 終戦の時、僕たちの一家は咸鏡北道会寧邑(現在の北朝鮮東北部、中国との国境に接する地域)に住んでいた。8月13日午後7時、避難命令が出た。そして僕たちの新しい戦争が始まったのだ。14歳の僕はその時、それから始まる“冒険”に興奮した。だがそれは、実にみじめな“戦争”だったのである。

 咸鏡北道庁では緊急事態に備えて避難計画を立て、会寧邑の住民は平安南道成川邑(朝鮮半島北西部)に避難することになっていたという。両親と弟、4人の妹、そして僕は豆満江(現・中朝国境を流れる川)沿いに、まず茂山をめざして歩き出した。敗戦を知ったのは、茂山の手前の小さな集落だった。川に洗濯に行った母が、朝鮮人警官にそれを知らされたと告げたとき、朝鮮人国民学校の校長だった父は、「ばかげたデマを信じるな」と激しく叱責した。

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