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ローカルジャーナリズムの死と「民主主義の衰退」 ある地方紙の運命に見たメディアの未来図

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ローカルジャーナリズムの死と「民主主義の衰退」 ある地方紙の運命に見たメディアの未来図

いったいジャーナリスト以外の誰が新聞に関心をもつのかについて、問いかけてみる価値はあるだろう。大半のアメリカ人は新聞を読まない。ピュー研究所による11年の調査によると、紙の新聞で定期的にニュースを読むのは、米国の成人のわずか20パーセントであることが分かっている。それが18~29歳では5パーセントにまで落ち込む。ムッターが指摘するように、新聞は「読者」「売り上げ」、そして「社会性」まで失ってしまったのだ。

地方の報道にまつわる、なぜ?の嵐

ついこの前までは、仕事を終えると新聞を買って株価を調べる時代だった。ムッターは、「いまでは一日中ずっと座りっぱなしでiPhoneをいじり、アップルの株価が2セント高なのか2セント安なのかチェックしています」と言う。

中身のあまりない地方紙(紙であれネットであれ)にざっと目を通しても、30年以上前と多くは変わっていない。ワシントン・ポストでもニューヨーク・タイムズでもクリックすれば読めるのに、イーストベイ・タイムズを含め、これほど多くの地方紙に国際面や全国のニュース面が残っているのはなぜなのだろうか?

「TripAdvisor」などの旅行情報サイトに簡単に(そして便利に)アクセスできるのに、旅行情報コーナーがまだあるのも不思議だ。新聞が印刷されるときには古くなっている株価情報が、まだ掲載されているのもなぜだろう? 疑問だらけだ。

死にゆく運命にある恐竜だと言って切り捨てる前に、それがかかわるコミュニティーと切り離して新聞を見てみたい。ゴーストシップのことを考えてみよう。火災のあとに被害者の両親らが倉庫のオーナーに対して起こした民事訴訟では、イーストベイ・タイムズの記事が引用された。

イーストベイ・タイムズは現在、この事件を積極的に伝える唯一の報道機関になっている。ニューヨーク・タイムズは16年12月、この悲劇を特集するために報道チームを送り込んだ。同紙は17年、関連する記事を2回掲載している。だが、全国紙が各都市に支局(その数は減っている)を設けていても、地方紙の地元社会との深い結びつきに取って代わることはできないのだと、イーストベイ・タイムズのデボルトは主張する。

ゴーストシップの火災を報道した記者のひとりは、こう語る。「友人を亡くした友人を通じて、ゴーストシップ側とはコネがあります。彼らはオークランドを理解し、ここに住み、近所で顔見知りだった人たちに記事を書いてほしいと願ったのです。ニューヨークから飛行機で飛んできた人たちにではありません。彼らをけなすわけではありませんが、ぼくらはここに住んでいるんです。ここで暮らし、ここの空気を吸い、近所のことを知っています。近所の住民をよく知っているのです」

それでは、デボルトやピールがいるイーストベイ・タイムズに誰も対価を払わないコミュニティーは、どうなってしまうのだろうか? 独立した情報源があっさり消えてしまう社会はどうなるのだろうか?

地方紙の廃刊と社会参画との因果関係

オレゴン州では、このような疑問について研究している人物がいる。ポートランド州立大学教授のリー・シェイカーは、地方紙を対象に米国のコミュニケーションを研究する数少ない学者の1人だ(学問的な立場で見ると「キャリアとしてはよくない選択ですね」とシェイカーは認める)。

シェイカーは09年、地方紙の廃刊が地元コミュニティーに与える影響と、その内容を調べることにした。その前年、『シアトル・ポスト・インテリジェンサー』が発行を停止し、デンヴァーの『ロッキー・マウンテン・ニュース』が倒産していた(それぞれの地域に残ったのは、『シアトル・タイムズ』と『デンヴァー・ポスト』だ)。

彼は「市民的社会参画」に関して政府が地域住民に調査した、08年と09年のデータを比較した。調査内容は、公務員との接触の有無や、家族と一緒に食事した頻度などである。

「この調査から明らかになったのは、2つの都市では社会参画に関して08年から09年にかけて統計的に有意な減少が見られたことです。米国のほかの主要20都市では、社会参画の有意な減少は基本的に見られませんでした」と、シェイカーは話す。これは各都市の経済の違いのような変数を調整したあとでも同じだった。「社会参画が減少した形跡が見られたのは、これらの2都市だけでした」

これで因果関係は示された。「ほかの都市では新聞の廃刊がまったくなく、これら2つの都市では廃刊があったのです」。シェイカーの調査によると、地域のニュースが減少することはメディア関係にとどまらず、それをはるかに超える広い範囲の人々に影響を及ぼすのだという。

遠ざかる民主主義

そのシナリオはこうだ。「地元のニュースを入手できないと、人々は自分たちのコミュニティーで何が起きているのか分かりません。自分たちのコミュニティーで起きていることが分からないと、自分たちのコミュニティーには参画しないでしょう。自分たちのコミュニティーにかかわらない人が増えれば、行政機関はあまりうまく機能しないかもしれません。そうすると、人々や行政機関との間で信頼関係が失われていきます。結果として人々は民主政治が機能しているかどうか、行政機関が機能しているのか不安に思うようになります。その感情の矛先は、自然に政府へと向かっていくのです」と、シェイカーは説明する。

この主張は、ほかの調査結果にも裏づけられている。アメリカン大学のジェニファー・ローレスとジョージ・ワシントン大学のダニー・ヘイズが15年に実施した調査[PDFファイル]によると、地方選の報道の減少や内容の希薄化が、政治への参加と知識にネガティヴな影響を与えているのだという。

調査結果は、さまざまな政治的な知識にも当てはまることを示唆している。ローレスは地方紙の減少について、こう指摘する。「市民による社会参画に対しては、破滅的な結果が待ち受けていると思います。完全なる民主主義への参加とその責任から、どんどん遠ざかっているのです」

つまり、地方レヴェルでさらにニュースが減少すれば、自分の周囲の出来事に関するより大きな誤解と混乱を招く可能性がある。なにしろ、自分の街で起きていることや自分の生活に関しての情報である。フラストレーションが溜まり、孤立が深まる。怒りを投票にぶつけるくらいしか、そのやり場が全くなくなるのだ。

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