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【虎番疾風録(18)】「決別」昭和44年の政変 後藤・現監督処遇決めぬうちに「次期監督・鶴岡氏招聘」発表

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【虎番疾風録(18)】
「決別」昭和44年の政変 後藤・現監督処遇決めぬうちに「次期監督・鶴岡氏招聘」発表

昭和44年11月14日、高知・安芸での秋季キャンプで監督要請を受けた村山(右)。左は戸沢球団社長 昭和44年11月14日、高知・安芸での秋季キャンプで監督要請を受けた村山(右)。左は戸沢球団社長

 もう少し「吉田、村山」について書こうと思う。

 タイガースの投打の中心選手となった2人は互いに意識し、年月がたつにつれて周囲も「どちらが先に監督になるのか」と噂し合った。そして昭和44年に「事件」が起こった。

 10月13日、大阪・梅田の阪神電鉄本社で野田誠三オーナーが、まだシーズン途中だというのに「全日程終了を待って、阪神は鶴岡一人氏(元南海監督、NHK解説者)の獲得に全力を挙げます」と宣言したのである。

 当時、監督を務めていたのは「クマさん」こと後藤次男。新人・田淵幸一の起用法で本社首脳と対立していたとはいえ、その処遇も決めないうちに、次期監督の招(しょう)聘(へい)を発表するという、前代未聞の出来事だった。しかも鶴岡には前年の43年にはっきりと断られている。

▼【虎番疾風録(17)】吉田か村山か、OB監督復活へ

 「いや、昨年は鶴岡氏が身の振り方(NHK解説者)を決めたあとで、急な要請に無理があった。だが、今度は支障になるものは何もない」。戸沢一●(=隆の生の上に一)球団社長が鶴岡招聘のために用意した資金は当時のお金で約1億2千万円といわれた。

 「阪神は鶴岡さんに何で断られたんか、まったく分かってへんかった。あの人は現場を無視してフロントが介入してくる阪神のやり方が大嫌いやった。お金で動くような人やない。それより、クマさんが気の毒やった」

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