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【夕焼けエッセー】母の一礼

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【夕焼けエッセー】
母の一礼

 85歳になる母は、少々ピントがずれたところはあるが、足腰は丈夫なので、思い立ったが吉日、1人でバスに乗って出かけて行く。

 ちょっとした買い物や美容院へ行ったりと、用事を作っては出かけている。時折、バスを乗り継いでデパートまで遠征しているようだ。友人から、「お母様とデパートの帰りのバスでご一緒したわ」と、通報が入ったりすることがある。

 元気にしているのは大変うれしいことだが、かなりおっちょこちょいなところがあるので、転倒したりしないかと心配でたまらない。

 そんな母と、先日久しぶりにバスに乗って出かけた。母の友人の作品展を観に京都まで足を延ばした。四条通をぶらぶらと、母にとっては何年ぶりかのことだった。

 帰りのバスの中で、今日は楽しかったと喜んでいたが、ほっとしたのか、握りしめていたバス賃の小銭をうっかり落としてしまった。母は慌てたが、探してみると座席に落ちていたので、拾い集めることができた。

 停留所に着き、無事にバスを降りた。すると母は、くるりとバスの運転手さんの方を向いて深々とお辞儀をした。私は思わず笑ってしまった。降りる際にありがとうと言えば済むところを、なぜわざわざと思った。母はいつもやっていることと笑う。

 そのとき、はっと気づいた。すべての思いをこの一礼に込めているのだ。無事にバスで出かけられたこと、動作が鈍く迷惑をかけていること、そしてどなたかの手助けをいただいたことなど、感謝の気持ちだ。これが母の生き方なのだ。私もそんな風に年をとりたい。

得津 フミ子(59) 主婦 大津市

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