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【石野伸子の読み直し浪花女】梶井基次郎「檸檬の伝説」(7)折口信夫、阪田寛夫、大谷晃一…文学者を支え影響、知的ハイカラ女性の夢

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【石野伸子の読み直し浪花女】
梶井基次郎「檸檬の伝説」(7)折口信夫、阪田寛夫、大谷晃一…文学者を支え影響、知的ハイカラ女性の夢

兄一家のもとで療養していた昭和6年1月、兄謙一が撮影した1枚(日本近代文学館蔵) 兄一家のもとで療養していた昭和6年1月、兄謙一が撮影した1枚(日本近代文学館蔵)

 阪田寛夫は、梶井の実家があった場所から500メートルほど離れた帝塚山で生まれ育っている。一帯は大阪南部の住宅地だが、片や帝塚山は大阪屈指の高級住宅地。一方、梶井家があった吉野通りのあたりは「南北に走るせまい裏通りで、一帯ではただ一つの盛り場。中学時代の私(阪田)にとっては暗い匂いのする一画であった」(『吉野通』)。

 阪田には優等生の兄がおり、その兄は中学時代、ラジオの組み立てに熱中していた。その兄が個人的に技術指導を受けるために通ったラジオ屋がある。それが吉野通りにある梶井ラジオ店。それと知って、「サッちゃん」の作者は興奮する。それは高名な小説家の梶井基次郎の実家ではないか。

 兄によれば、梶井ラジオ店は梶井勇氏が経営。なかなかラジオに関する新しい技術を知る人はなく、1人弟子入りする形で毎日のように長屋にある狭いラジオ店に上がり込んで配線図の見方を習っていたという。

 しかも、それが昭和6(1931)年か7年ごろ、と聞いてさらに阪田は興奮する。とすれば、そのラジオ屋の2階には、闘病中の梶井基次郎がいたのではないか。

 兄はむろんそのラジオ店が、その後有名になった梶井基次郎の実家とは知らなかった。それよりも当時その世界では梶井家の長兄・謙一氏の名前が有名で、「無線と実験」という雑誌にも署名記事を書いていた。謙一は大阪の名門・北野から大阪高等工業学校(現大阪大学)に進学。末弟も京都大学出身で、梶井家は近所でも有名なインテリ家族だったのだ。

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