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【歴史インサイド】信長は「本能寺の変」なくても失脚していた…三重大教授が新たな視点で真相に迫る

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【歴史インサイド】
信長は「本能寺の変」なくても失脚していた…三重大教授が新たな視点で真相に迫る

新史料などを基に「本能寺の変」の真相に迫る藤田教授=3月4日、松江歴史館 新史料などを基に「本能寺の変」の真相に迫る藤田教授=3月4日、松江歴史館

 日本史上“最大のミステリー”の一つとされる「本能寺の変」。天正10(1582)年、天下統一を目前にした織田信長が家臣の明智光秀に京都・本能寺で討たれた事件は、光秀の動機や黒幕の存在などこれまで諸説紛々さまざまな推論や検証が飛び交ってきた。これに終止符を打つべく、関連著作を多数発表してきた藤田達生・三重大教授(日本史学)が3月、本能寺の変をテーマにした特別展(2~4月)を開催した松江市の松江歴史館で講演。「解明された本能寺の変」と題し、近年相次ぎ見つかった史料に触れながら鋭く真相に迫った。講演の主な内容を紹介する。

家臣団は仲違い、政権は不安定

 「『本能寺の変』なかりせば…」と言われるが、実はあってもなくても結果は同じだったと思う。信長が強烈な個性の持ち主だけに強大な政権だったと誤解しがちだが、案外弱いところがある。信長の専制的な性格が災いし、家臣団はしばしば仲違いやクーデターを起こして政権は不安定。本能寺の変の直前には臨界点に達しており、光秀が突出して大きな事件を起こしたのではなく、そういう土壌があったとみるべきだ。

 光秀は、200~300年に一人の名将だと私は思う。信長に重用されたのは武将としてだけでなく、外交官としての側面も大きかった。外交交渉で高い能力を発揮し、無血で四国を切り取っていった手腕が評価されたのだ。

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