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【石野伸子の読み直し浪花女】梶井基次郎「檸檬の伝説」(1)没後に評価、レモン1個に萌えた文学界のアイドル

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【石野伸子の読み直し浪花女】
梶井基次郎「檸檬の伝説」(1)没後に評価、レモン1個に萌えた文学界のアイドル

三高入学当時の梶井基次郎(右)。無骨な面構えだった(筑摩書房刊「梶井基次郎全集別巻」から) 三高入学当時の梶井基次郎(右)。無骨な面構えだった(筑摩書房刊「梶井基次郎全集別巻」から)

 梶井基次郎(かじい・もとじろう)は不思議な作家だ。残した作品は短編わずか20編ほど。それもほとんどが同人誌に発表されたものでほぼ無名のまま生涯を終えた。ところが、没後に評価が高まり、多くの作家に影響を与え続けた。

 代表作「檸檬」(レモン)は「近代文学屈指の名作」として読み継がれ、作品は今でも店頭に並ぶ。何がそれほど人々を引きつけるのか。短い人生で、あの宇野千代と浮名を流したというひと幕も気になる。大阪で生まれ、大阪で死んだ作家の魅力はどこにあるのか。まずは代表作「檸檬」をひもといてみよう。

 「檸檬」は原稿用紙にしてわずか13枚の短編だ。

 「えたいの知れない不吉な塊(かたまり)が私の心を始終圧(おさ)えつけていた。焦燥と云おうか、嫌悪と云おうか。酒を飲んだあとに宿酔があるように、酒を毎日飲んでいると宿酔に相当した時期がやって来る。それが来たのだ

 と書き出される。肺を病んだ主人公は、鬱屈した思いを抱えて京都の町を歩き回っている。病気を抱え、借金を抱え、以前心をなごませてくれた美しい音楽も絵も、親しみから遠のき、「私」をいらだたせる。

 そんないらだちのなかった頃、「私」が好きだった場所は丸善だった。しゃれた香水瓶や煙管、それに洋書が限りない幸福感をもたらしてくれた。しかし、いまや丸善は私を憂鬱にさせるばかりで近寄り難い。

 ある日、八百屋で1個のレモンを手に入れ心を躍らせる。これこそ「総(すべ)ての善いもの総ての美しいもの」という奇妙な高揚感に襲われて。

 レモンを手にした私は、足の向くまま「丸善」に入り、かつてお気に入りだった画集コーナーにたたずむ。そして何冊も本を積み上げ、その上にレモンを置いてみる。

 「それは上出来だった。見わたすと、その檸檬の色彩はガチャガチャした色の諧調をひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまって、カーンと冴えかえっていた

 「私」はレモンをそのままにして店を出る。念頭には確信に満ちた夢想が広がっている。

 「黄金色(こがねいろ)に輝く恐ろしい爆弾を仕掛て来た奇怪な悪漢が私で、もう十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大爆発するのだったらどんなに面白いだろう

 不穏な作品だ。テロリズムへの視線が険しくとがった現代にあっては、殺気がより強く体を突き刺すようだ。ともあれ、梶井基次郎が三高(京大)時代の体験などを下敷きに書いたこの作品は、教科書の常連で、青春小説の代表として広く愛されてきた。

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