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【石野伸子の読み直し浪花女】「めし」で読み解く林芙美子(9)盧溝橋事件後「漢口一番乗り」 南京に続き「女われ一人」骨太の人生

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【石野伸子の読み直し浪花女】
「めし」で読み解く林芙美子(9)盧溝橋事件後「漢口一番乗り」 南京に続き「女われ一人」骨太の人生

昭和13年、ペン部隊の一員として中国に渡り、他の作家を出し抜き漢口一番乗りを果たした(新宿歴史博物館蔵) 昭和13年、ペン部隊の一員として中国に渡り、他の作家を出し抜き漢口一番乗りを果たした(新宿歴史博物館蔵)

 林芙美子は逸話の多い作家だ。

 世に出るため男を次々と変えた女。夫ある身で奔放な恋愛に身を委ねた女。恩義のある作家に背を向けた。作家仲間の原稿を預かったままお蔵入りにした。後輩作家が注目されるのがいやで、雑誌の連載を片っ端から引き受けた。

 筆一本で世に出た女性に向けられる好奇の目は強い。何が本当のことで、どこまでがフィクションなのか。数多く書かれた芙美子に関する評伝や、それらをもとにした映画や舞台上のエピソードが、時代を超えてひとり歩きする。

 もっとも、葬儀であいさつに立った川端康成の言葉は大いに憶測を呼ぶ。

 「故人は自分の文学的生命を保つため、他に対して、時にはひどいこともしたのでありますが、あと1、2時間もすれば骨になってしまいます。死は一切の罪悪を消滅させますから、どうか、この際、故人をゆるしてもらいたいと思います」

 最後の言葉を繰り返して頭を下げたと伝えられている。

 数多い逸話の中でも、いかにも芙美子らしい話が「漢口一番乗り」ではないだろうか。

 昭和12(1937)年の盧溝橋事件を契機に日本は日中戦争に突入した。社会全体に軍事色が濃くなる中、作家たちにも協力要請が届く。芙美子はペン部隊として戦地に赴いた。とりわけ昭和13年10月、激戦地の漢口に入った「漢口一番乗り」は世間の大きな注目を集めた。このときの経緯が面白い。

 芙美子は内閣情報部による「ペン部隊」の一員として中国に渡った。著名作家20人余りが参加したが、菊池寛を団長とする海軍班と久米正雄を団長とする陸軍班にわかれ、芙美子は陸軍班だった。

 すでに前の年に毎日新聞従軍特派員として南京を訪れ、「女流作家一番乗り」として原稿を送った経験のある芙美子は、今回は単独行動をとり、さらに注目の地をめざそうとした。集団から離れ、前線に向かう部隊に同行し、途中から朝日新聞の特派員とともに行動して苦労の末、現地に入ったのだ。

 「女われ一人・嬉涙で漢口入城」と朝日新聞に華々しく一番乗りが報道された。帰国した芙美子は熱狂的に迎えられ、各地の戦況報告会は大盛況だった。これを他の作家は当然苦々しく見ただろう。とりわけ久米正雄は、毎日新聞の文芸部長として文壇の実力者だっただけに、団長としても顔をつぶされた形で、長らく芙美子は毎日新聞から閉め出されたと当時の関係者が述べている。

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