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【平昌五輪】小平選手、憧れの師と目指す「究極の滑り」 18日の500メートルで世界一の師弟へ

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【平昌五輪】
小平選手、憧れの師と目指す「究極の滑り」 18日の500メートルで世界一の師弟へ

スピードスケート女子1000メートルのレースを前に調整する小平奈緒。後方右は結城匡啓コーチ=14日、江陵(共同) スピードスケート女子1000メートルのレースを前に調整する小平奈緒。後方右は結城匡啓コーチ=14日、江陵(共同)

 ■「このままでは世界は狙えない」 

 晴れて結城コーチの門下生となった小平だが、最初の評価は高くなかった。「このまま行っても世界はない。滑りを変えないと」。粗削りな滑りを見た結城コーチは、厳しい言葉をかけたことを覚えている。「彼女はそれを欲していた。滑りを変えたくて来てくれた」と見抜いていたのだという。

 毎日の厳しい練習に加え、座学で「結城理論」を叩き込まれた。ただ、小平は中学・高校時代に指導を受けた新谷純(すみ)夫(お)さん(68)から、信州大進学後の生活を見据えた指導を受けていた。高校3年の1年間は、大学での独立を踏まえてアパートで一人暮らしするなど、大学生活を“先取り”して準備万端で臨んでいた。

 ■卒論は世界トップ選手との比較

 探求心旺盛な小平は理詰めの結城コーチの指導を受け、競技によりいっそうのめり込んでいった。卒業論文のテーマは、スピードスケートのカーブワークの動作解析。結城コーチの指導のもと、自分自身と世界のトップ選手との技術の差を科学的に解析するなど、文字通り最速を「探求」していた。

 花が開き始めたのは大学2年の20歳のころ。全日本距離別選手権で初優勝し、ワールドカップも経験した。バンクーバー五輪を翌シーズンに控えた大学卒業間際の09年春は、「結城先生と長野で練習を続ける」という条件にこだわり続けたため、なかなか所属先が見つからなかった。それでも、条件は曲げず、結城コーチと頭を下げて周り、リハビリなどで縁があった相沢病院(長野県松本市)に拾われる形で競技を継続することができた。

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