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【千田嘉博のお城探偵】CASE3 名古屋城石垣の銘文 清正と家臣の物語刻む

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【千田嘉博のお城探偵】
CASE3 名古屋城石垣の銘文 清正と家臣の物語刻む

南西から見た名古屋城大天守台石垣(いずれも筆者撮影) 南西から見た名古屋城大天守台石垣(いずれも筆者撮影)

 大天守台石垣北東隅石の「小代下総」はよく観察できる。しかし大天守台石垣南西隅石の銘文は注意が必要である。空堀の対岸から双眼鏡などを用いて拡大してみると「藤肥後守内 中川太良平(たろべえ)」となっている。銘文の最初は「加藤肥後守…」であるはずが、「加」の文字を失っているのである。じつは江戸時代の1752(宝暦2)年から尾張藩は大天守台石垣の西・北面の大修理を行って、清正以来の隅石の一部を外した。

 そのとき外した南西隅石をもう一度積み直そうとしたが、うまくもとに戻らなくなってしまったらしい。そこでやむなく石を短くして、表面を削って整えたと分析できる。銘文の「加」の欠損が、江戸時代の石垣修理の実像を教えてくれるのである。さすが熊本で「清正公(せいしょうこう)」と慕われる清正は、お城探偵にも優しい。(城郭考古学者 千田嘉博)

     ◇

 名古屋城 徳川御三家の一つ、尾張徳川家の居城。金のしゃちほこで知られ、「尾張名古屋は城でもつ」とうたわれる。16世紀前半に築かれた那古野(なごや)城の跡に徳川家康が築城した。1945(昭和20)年の空襲で大小天守や本丸御殿などが焼け、複数の隅櫓や門、堀、石垣を残すのみとなった。1959(昭和34)年に鉄骨鉄筋コンクリートで天守が復元された。

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