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本能寺、敷地は「1町」の範囲にあり 2町説を否定する畑の遺構確認

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本能寺、敷地は「1町」の範囲にあり 2町説を否定する畑の遺構確認

本能寺跡の北隣で行われた発掘現場。2町説を裏付ける遺構は出土せず、畑だったことが判明した=京都市中京区(平成28年10月撮影) 本能寺跡の北隣で行われた発掘現場。2町説を裏付ける遺構は出土せず、畑だったことが判明した=京都市中京区(平成28年10月撮影)

 戦国武将、織田信長が全国統一を目前に配下の明智光秀に討たれた「本能寺の変」の舞台になった本能寺(京都市)の敷地は当時、1町(120メートル四方)の範囲だったことが20日、民間調査会社「国際文化財」(東京)による発掘調査で分かった。敷地は1町分とする「1町説」のほか、さらに南北に細長く広がった2町分とする「2町説」もあるが、今回の調査で2町の範囲内から畑の痕跡を確認。今後、2町の部分から建物跡などを検出する可能性は低いとみられ、2町説は否定される形となった。

耕作土や水だめ用?の穴

 これまでの調査や古文書などから、天正10(1582)年の本能寺の変当時の境内は、現在の寺域(京都市中京区)から西約1・5キロの平安京左京四条二坊十五町(現・同市中京区)にあり、少なくとも西洞院(にしのとういん)通や六角通などに囲まれた1町分はあることが確認されている。

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