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【関西の議論】「矢張りどうしても行きたくない」ノーベル賞の湯川博士、日記に残した“栄転”拒否の秘めた心情

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【関西の議論】
「矢張りどうしても行きたくない」ノーベル賞の湯川博士、日記に残した“栄転”拒否の秘めた心情

1949年11月、米コロンビア大学で撮影に応じた湯川秀樹博士(湯川家提供) 1949年11月、米コロンビア大学で撮影に応じた湯川秀樹博士(湯川家提供)

 しかし、昭和20年6月28日に東京に出張した際の記述はちょっと様子が異なる。空襲を受けた〈満月の焼野原を〉歩き、10月に東京帝国大に転任することに思いを巡らせ、〈矢張りどうしても行きたくない〉と、京都を離れることについて揺れ動く心情をしたためている。結局、東京帝大への転任の件は〈辞退の手紙書く〉(7月2日)と記された。

 湯川博士が昭和21年に発表した随筆『京の山』には、幼いころから暮らした京都の街への愛着がほとばしる。

 「新居の二階に上って、東から北、北から西へと起伏する山並を眺めた時、ああ京都へ帰ってきてよかったとしみじみ感じた」。昭和18年10月に兵庫県西宮市から転居し、現在の京都市左京区にあった新居から眺めた風景をこう記す。

 博士は、京都の街全体を囲む山々はなくてはならないもので、特に身近に感じるのは比叡山だとし、その姿を「孤高」と表現。「いつまでも変わることのない友達だ」と愛着を寄せる。

 さらに、日記にも記される東京帝大への転任についても触れている。学閥という狭い縄張りを切り捨てて招いてくれる東大の教授らへの感謝をつづった上で、「東京へ出て思う存分働き、この信頼に酬いたい。しかし、この気持が強くなればなるほど、それに比例して京都を離れたくないという気持ちも強まってくる」と記載しているのだ。

 戦火を逃れた京都から、焼け野原の東京で復興に努力する先輩らの労苦に対し、心の中で「すまない、すまない」と繰り返したと胸の内を明かした。

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