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【関西の議論】「矢張りどうしても行きたくない」ノーベル賞の湯川博士、日記に残した“栄転”拒否の秘めた心情

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【関西の議論】
「矢張りどうしても行きたくない」ノーベル賞の湯川博士、日記に残した“栄転”拒否の秘めた心情

1949年11月、米コロンビア大学で撮影に応じた湯川秀樹博士(湯川家提供) 1949年11月、米コロンビア大学で撮影に応じた湯川秀樹博士(湯川家提供)

 そして、8月15日には、散髪して身なりを整えてから玉音放送を聞き、〈大東亜戦争は遂(つい)に終結〉と記した。

 小沼氏は「湯川先生は、自宅で購読していた朝日新聞を書き写していたようだ。細かく書き写しているものは、何らかの関心があったはず」と語る。

 湯川博士は、昭和18年1月の文章『科学者の使命』で「大東亜戦下、第2回目の新春を迎ふるに当たって、私共の感懐はまた格別である」とし、1億の国民は同じ方向に邁進(まいしん)しつつ「そこには何らの疑惑もあり得ない」と記載。科学者は既存の科学技術の成果をできるだけ早く戦力の増強に活用するべきだと主張している。

 「当時は国がやることが絶対、そういう時代だった。だから湯川先生も国のためと思っていただろう」。小沼氏はこう語った上で、「終戦で、日本の価値観がひっくり返った。戦後の湯川秀樹もがらっと変わったが、変わらない信念もあった」

 この信念のひとつが、学問に対する姿勢のようだ。日記からは、戦中も終戦後の慌ただしい中でも大学に足を運び、熱心に講義に取り組む様子が伝わる。また、科学において基礎分野の発展がなければ、応用する科学技術は枯渇するという持論も貫き通した。

■「京の山」への思い

 日記は淡々と日々の出来事が記されており、そのタッチも終戦前後で変化は見られない。湯川博士の感情もあまり読み取れない。

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