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【とん堀幻視行(1)】司馬さんも見つめた「太陽の庭」 大坂城公園から

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【とん堀幻視行(1)】
司馬さんも見つめた「太陽の庭」 大坂城公園から

上町台地に建てられた大阪城。古代、台地の西側(写真正面)では、海の民が暮らしていた。いま、「ミナミ」と呼ばれている(本社ヘリから、門井聡撮影) 上町台地に建てられた大阪城。古代、台地の西側(写真正面)では、海の民が暮らしていた。いま、「ミナミ」と呼ばれている(本社ヘリから、門井聡撮影)

 「日本書紀」の神武東征の項には、東征軍が上町台地の先端(大阪天満宮付近)から河内湾にむかったとき、「奔潮(はやきなみ)有りて太(はなは)だ急(はやき)に会ひぬ。因(よ)りて以て名づけて浪速国(なみはやのくに)と為す」というくだりがある。この「なみはや」が「なにわ」になったという説もあるが、これも疑問である。

 「なにわ」の枕詞は「おし照るや」である。「太陽がつよく照る」といったほどの意味だ。「魚庭」や「浪速」では、この枕詞とうまく重ならない。以下、民俗学者・谷川健一の説を参照した。

 古代朝鮮語で、太陽は「奈勿=nar」、日本語では「ナル」。「ニワ」は同じく「口、門、庭、出口」の意で、あわせて「日の出」「太陽の庭」などとなる。この「ナルニワ」が「なにわ」に転訛(てんか)した。「おし照るや」という枕詞ともマッチする。

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 この説を裏づけるのが、「東成」「西成」という古くからの地名である。「成(なり)」は「ナル」の転訛であり、東成は「東の太陽」、西成は「西の太陽」となる。位置的に、大阪平野における太陽の道筋ともあう。「なにわ」は渡来人が命名した、と思いたい。

 古代から原野のままだった上町台地を最初に発見したのは、本願寺中興の祖・蓮如上人である。明応5(1496)年、たまたま訪れたとき、「虎狼(ころう)のすみか也。家の一つもなく、畠ばかりなりし所也」というありさまだった。

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