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【石野伸子の読み直し浪花女】「めし」で読み解く林芙美子(6)涙の数だけ幸せに 新宿に“終の棲家”宿命の放浪者

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【石野伸子の読み直し浪花女】
「めし」で読み解く林芙美子(6)涙の数だけ幸せに 新宿に“終の棲家”宿命の放浪者

林芙美子が晩年住んだ旧宅が生前のまま公開されている林芙美子記念館=東京都新宿区 林芙美子が晩年住んだ旧宅が生前のまま公開されている林芙美子記念館=東京都新宿区

 「私は宿命的に放浪者である」とデビュー作「放浪記」の冒頭に書いた林芙美子は生涯、数え切れないほど転居を繰り返した。

 画家の手塚緑敏と結婚してからも、東京都杉並区の高円寺界隈(かいわい)、新宿区の下落合付近などを転々とした。

 その芙美子が初めて建てた自分の家が、現在新宿区立林芙美子記念館になっている下落合の家だ。

 坂道にそって長い塀が続き、300坪の敷地には緑豊かな庭が広がる。芙美子はここで昭和16(1941)年8月から亡くなる昭和26年6月までのおよそ10年間を暮らした。もっともその間には戦地報道班員としてジャワ、シンガポール、ボルネオに8カ月滞在したり、長野県に疎開したり、戦後もひっきりなしに取材旅行に出かけたりして留守も多かったが。

 しかし、昭和18年には養子・泰を迎え、たっぷりの愛情をそそぎ、理想の家庭を営んだ。母親として生きたのがこの家だ。

 家づくりにあたって、芙美子は多大なエネルギーをそそいでいる。事前に参考書を200冊近く求めて建築について学び、およその見当をつけて自分で設計図を書き、大工は一流の人に頼みたいと奔走し、材木や瓦などの材料についても現場まで出かけるなど思い入れは格別だった。

 設計を依頼したのは、近代建築の旗手として知られた建築家の山口文象。氏に依頼してからも話し合いを重ね、担当者と一緒に京都まで民家を見に出かけるなどこだわりぬいている。

 家への思いをこんな風に書いている。

 「東西南北風の吹き抜ける家というのが私の家に対する最も重要な信念であった。客間には金をかけない事と、茶の間と風呂と厠と台所には十二分に金をかける事というのが、私の考えであった」(「家をつくるにあたって」)

 その言葉通り、生活を基盤にすえた落ち着いたつくり。建設当時は建坪の制限があったため、芙美子名義の生活棟と、画家であった夫・緑敏名義のアトリエ棟をそれぞれ建て、その後つなぎ合わせるという一風変わったつくりではあるが、生前のまま保存されている茶の間、客間、台所、書斎などは庭から見学でき、当時としては珍しい水洗便所、ゆったりとした浴そう、明かり取りの出窓がある台所など、心配りが随所に見られて興味深い。

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